学長室だより

「匿名」ということ

高齢者となり、以前のようにぐっすり眠れなくなってNHKラジオの"ラジオ深夜便"をよく聞いていることは以前にも記したことがありますが、2224時からの「わたし終いの極意」のコーナーで、映画監督の熊谷博子さんが近々公開になる自分の映画のことをお話しされていました。

それは、岡山県にあるハンセン病患者の施設である長島愛生園に住んでらっしゃる女性のことを撮ったもので、その方――10歳の時に愛生園に入所し、それからおよそ80年間そこで過ごし、結婚もされて現在90歳になる宮﨑かづゑさんの、明るさ、たくましさに惹かれ、通い続けて映像化したというものです。かづゑさんは、病気の影響で手の指や足を切断し、視力もほとんどない状態と言います。そのかづゑさんについてのお話には、大いに、心動かされるものがありました。その映画「かづゑ的」は、3月2日から公開されるそうです。

昨年の今頃になりますが、NHKの「100分で名著」で、北条民雄の「いのちの初夜」が取り上げられたことに因んで、「砂の器」のことなどを記しました。その際、私の住居が北条民雄所縁の全生園の近くにあり、コロナ以前には、全生園は私の週末の散歩コースとなっていたことにも触れました(残念ながら、コロナ禍で、今は限られたところにしか立ち入ることができなくなっています)。

全生園には、ハンセン病資料館があり、資料館の玄関前には、巡礼の装束の親子の像が立っています(写真)。まさしく、「砂の器」の親子の姿です。その像に添えられた説明によれば、ハンセン病患者の一家は村から追い出され、行くあてもなく、食べるものを得る手立てもないため、巡礼の人たちへの「お接待」の風習のある四国を目指し、そこでの施しを頼って生きていたということに因んで作られたものだそうです。ハンセン病に罹られた方々の苛烈な境遇を物語っています。

資料館の左手には、納骨堂があります。私は、全生園に行った時には、かならず納骨堂に寄って手を合わせることにしています。"倶會一処"、死んだらみんな同じ浄土に生まれるという「阿弥陀経」にある言葉が正面に書かれています(写真)。

資料館の右手の外周となっている道を行くと、椿が植えられている一角になります。冬になると、きれいな赤い花をつけているのですが、これらの木々は、居住者の方が植えたものらしく、その方々のお名前を記した木札が付けられています。そうした木札を見ていって驚くことは、「匿名」と書かれたものがいくつかあることです(写真)。ハンセン病患者は、縁者から縁を切られ、名前を捨てて入所してきたと言いますが、その事実を突きつけらたようで、粛然とさせられます。"北条民雄"も、本名ではありません。彼の本名が明るみに出たのは比較的最近で、その時には新聞に載るなど、ちょっとした話題となりました。

園内には子どもの患者もいたため、学校もあったと言います。北条民雄の「吹雪の産声」という短編には、発病して全生園に入所し、園内の学校で子どもたちを教えている青年・矢内が出てきます。彼は、その後、危篤の床の中で、園内にいた妊婦の出産を心待ちにしながら、「いのちは、ねえ、いのちにつながってるんだ、よ。のむら君」という言葉を友人の野村に残して、赤ちゃんの誕生と入れ違いに亡くなっていきます。その姿は、神々しくもあり、強い印象を残します。その学校跡というのが、木造の洋風の小さな建物で、床屋さんになっていたように思うのですが、記憶が曖昧なので、コロナの立ち入り制限が解除されたら、あらためて確かめに行きたいと思います。

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(↑巡礼姿の親子)

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(↑納骨堂)

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(↑名札の付いた椿)