「水を飲むな!」
梅雨も明けていないというのに、何という暑さか!というようなお天気が続いています。ぬるめのお風呂といってもいい、40度(!)などという気温が記録されたなどと聞くと、異常気象の重大さがひしひしと身近に感じられます。
私が学生時代に柔道をやっていたということは、これまで何度か、この学長室だよりの中でも触れてきました。そのことと関わって、暑い季節になると、あれは何だったんだろうか...?と、ちょっと気になることがあります。それは、当時(もはや半世紀くらいも前となりますが)の柔道部で、「練習中には水を飲むな!」と、きつく言われていたことです。これは、柔道だけではなく、他のスポーツでもそうでした。いわく、余計に疲れるとか、スタミナがなくなるとか。我慢が苦手な私は、身体的欲求に逆らえるわけなどなく(逆らうつもりもなく)、これで我慢してたら、死んでしまう!とばかりに、練習の途中で休憩となると、トイレなどでこっそりと水を飲んでいました。ただ、たくさん飲むと、練習中に、特に寝技の時などに、お腹がタプタプいってバレるので――当時は水を飲んでいるのがバレると、それなりに叱責されました――、そこは塩梅していました(こういうことの飲み込みは早いのです)。素直な連中は、私などと違って、隠れて水を飲むようなことはしていないようでした(大体そういう連中は強くなっていきました...)。野外のスポーツでもそうでしたので、今にして思うと、よく死者が出なかったものだと思います(もしかすると、いたのかもしれませんが)。当時の暑さは今ほどではなく、真夏でも30度を超える日はそう多くありませんでしたので、大きな事故がなかったのは、そのせいかもしれません。今は随分と様変わりして、練習の最中でも、水分補給には十分注意するようにと言われるようですが、そうした話を聞くと、当時のあれは何だったのか??どういう理論的根拠があったのか、また、それはどのように正されたのか?と、思うわけです。
結局、この「練習中には水を飲むな!」というのは、そう言わなくなった理由がはっきりしないのですが――大体、そう言っていたこと自体がおかしかったのかもしれませんが――、喉が渇いたら水を飲むというのが自然なことだとすれば、あれは、つらいことを我慢してこそ強く(うまく)なる――裏返して、つらいことを我慢しなければ、強く(うまく)なれないという、スポ根精神の延長上にあった言説ということだったのでしょうか?
同じように、当時は盛んだったものの、今ではまったく行われなくなったものに、うさぎ跳びがあります。うさぎ跳びは、子どもの頃に持続的に行うと腓骨の疲労骨折が起こるなど、成長期に望ましくない運動であるということが分かってきて、現在では行われなくなりましたが、私らの時代には、うさぎ跳びで、神社の石段まで上がらされました。あのスポ根精神の広告塔といってもよい「巨人の星」でも、星一徹と飛雄馬が、親子でうさぎ跳びをして(それを木の陰から明子ねえちゃんが心配そうに見て)いるというシーンがアニメの主題歌中にはさまれていました(YouTubeで確認できます)。うさぎ跳びは、「水飲むな!」の場合とは違って、かなり脚の筋を使っているという筋トレ感が強くありましたが、あれほど盛んであったのには、やはり、つらいことを我慢しなければ、強くなれないという、スポ根精神が一役買っていたように思いますが、どうでしょうか...。
うさぎ跳びのようなものとは逆に、あの当時にはまったく行われていなかったのに、今では当たり前となっていると感じるものもあります。私がかねてより抱いているそうした感想など、機会を見て、また、記したいと思います。