2024年アーカイブ

「水を飲むな!」

梅雨も明けていないというのに、何という暑さか!というようなお天気が続いています。ぬるめのお風呂といってもいい、40度(!)などという気温が記録されたなどと聞くと、異常気象の重大さがひしひしと身近に感じられます。

私が学生時代に柔道をやっていたということは、これまで何度か、この学長室だよりの中でも触れてきました。そのことと関わって、暑い季節になると、あれは何だったんだろうか...?と、ちょっと気になることがあります。それは、当時(もはや半世紀くらいも前となりますが)の柔道部で、「練習中には水を飲むな!」と、きつく言われていたことです。これは、柔道だけではなく、他のスポーツでもそうでした。いわく、余計に疲れるとか、スタミナがなくなるとか。我慢が苦手な私は、身体的欲求に逆らえるわけなどなく(逆らうつもりもなく)、これで我慢してたら、死んでしまう!とばかりに、練習の途中で休憩となると、トイレなどでこっそりと水を飲んでいました。ただ、たくさん飲むと、練習中に、特に寝技の時などに、お腹がタプタプいってバレるので――当時は水を飲んでいるのがバレると、それなりに叱責されました――、そこは塩梅していました(こういうことの飲み込みは早いのです)。素直な連中は、私などと違って、隠れて水を飲むようなことはしていないようでした(大体そういう連中は強くなっていきました...)。野外のスポーツでもそうでしたので、今にして思うと、よく死者が出なかったものだと思います(もしかすると、いたのかもしれませんが)。当時の暑さは今ほどではなく、真夏でも30度を超える日はそう多くありませんでしたので、大きな事故がなかったのは、そのせいかもしれません。今は随分と様変わりして、練習の最中でも、水分補給には十分注意するようにと言われるようですが、そうした話を聞くと、当時のあれは何だったのか??どういう理論的根拠があったのか、また、それはどのように正されたのか?と、思うわけです。

結局、この「練習中には水を飲むな!」というのは、そう言わなくなった理由がはっきりしないのですが――大体、そう言っていたこと自体がおかしかったのかもしれませんが――、喉が渇いたら水を飲むというのが自然なことだとすれば、あれは、つらいことを我慢してこそ強く(うまく)なる――裏返して、つらいことを我慢しなければ、強く(うまく)なれないという、スポ根精神の延長上にあった言説ということだったのでしょうか?

同じように、当時は盛んだったものの、今ではまったく行われなくなったものに、うさぎ跳びがあります。うさぎ跳びは、子どもの頃に持続的に行うと腓骨の疲労骨折が起こるなど、成長期に望ましくない運動であるということが分かってきて、現在では行われなくなりましたが、私らの時代には、うさぎ跳びで、神社の石段まで上がらされました。あのスポ根精神の広告塔といってもよい「巨人の星」でも、星一徹と飛雄馬が、親子でうさぎ跳びをして(それを木の陰から明子ねえちゃんが心配そうに見て)いるというシーンがアニメの主題歌中にはさまれていました(YouTubeで確認できます)。うさぎ跳びは、「水飲むな!」の場合とは違って、かなり脚の筋を使っているという筋トレ感が強くありましたが、あれほど盛んであったのには、やはり、つらいことを我慢しなければ強くなれないという、スポ根精神が一役買っていたように思いますが、どうでしょうか...。

うさぎ跳びのようなものとは逆に、あの当時にはまったく行われていなかったのに、今では当たり前となっていると感じるものもあります。私がかねてより抱いているそうした感想など、機会を見て、また、記したいと思います。

「もう限界です」

本学のHPのニュース欄にも掲載されておりますように、国立大学協会(国大協)が、国立大学の財政状況について、「もう、限界です」とする声明を、先週、6月7日に発出しました(国立大学協会理事会「我が国の輝ける未来のために」)。これは、全国86国立大学の学長の偽らざる心情だと思います。

「 国立大学協会声明------我が国の輝ける未来のために------」について

本学では、光熱水料の値上げやその他の物価の高騰も、当分の間教員人事を凍結し、その後新たな人事計画を立て、さらに、物件費をギリギリまで切り詰めて、何とかしのいできました。が、ここにきて、景気動向を踏まえた人事院勧告によるベースアップや定年延長等への対応を迫られる事態となり、収入、特に国から大学に配分される運営費交付金が増えないことには、対応は困難というような事態となっています。言うまでもありませんが、教職員の給与が増えることや、年金支給年齢まで定年が伸びることは、働く人間にとってよいことです。であれば、余計にそれへの対応が困難となる事態は、まったくもって無念と言う他ありません。

こうした厳しい財政状況に加えて、さらに、教員養成系大学・学部には、教職調整額の問題が重くのしかかっています。

教職調整額とは、公立校の教員に残業代に変わるものとして、基本給の4%分が手当として支給されているものです。この教職調整額を10%以上に引き上げるということが、中教審で議論され、現実的となっています。教員の処遇が、給与面でよくなるということは、これもまた、言うまでもなくよいことなのですが、附属学校を有している国立の教員養成系大学・学部には、財政上実に悩ましい問題となっています。

教職調整額は、今は、公立校のみがその適用範囲で、附属学校は、国立大学の法人化後、法令上は、教職調整額の適用の範囲外です。ですが、附属学校では、県や市の自治体から多くの教員を人事交流で迎え入れています。もし、附属学校と公立校で給与水準に違いがあると、人事交流はスムーズに進みません。また、採用に当たっても、公立校より給与水準が低いと、附属学校は、優秀な人材を確保することができません。それゆえ、もし公立校の教職調整額が、10%に引き上げられたとすると、附属学校でも、教職調整額相当分をそれに合わせて、10%とすることは、必須です。

が、しかし、声明にあるとおり、国立大学の運営費交付金は減額されたままです。これらに対応するための財源の確保は、きわめて困難であり、声明の言葉どおり「もう限界です」。運営費交付金などによる支援が必要です。繰り返しになりますが、附属学校教員も含め、教員の処遇が給与面でよくなるということは、よいことです。であるのに、これが困難になるというのは、教員を養成している身として、まことに忸怩たる思いです。

本学を含む国立の教員養成系大学・学部は、附属学校を学内の重要な教育実践の場として位置付け、専門的で高度な教員養成を進めてきました。そして、今後も、引き続き我が国の教員養成を牽引していくつもりです。

今回の声明も、国立大学が、わが国の未来を創造する人材育成と高度で先端的な研究推進に重要な役割を果たしてきたと言い、今後も我が国の産業、教育、医療、福祉などに十全の責務を負っていくという国立大学の覚悟を言うことから始まり、輝ける未来に向けて、3つのことに取り組むことを宣言し、タイトルにある「我が国の輝ける未来を創り出すために」、「皆様の理解と共感、そして力強い協働をお願いする次第です」と結ばれています。まったく同感です。

こうした財政状況に対するご理解と、ご支援を心からお願いいたします。本学の財政についても、まさしく「限界」です。運営費交付金の増額など文科省へのお願いも含め、あらゆる手立てを尽くさねば対応できないと思っております。大学基金も設立しておりますので、恐縮ではございますが、ご寄付などもお願いできればと幸いです。

ご寄付のお願い