2024年アーカイブ

2024年の年末にあたって。

先週の土曜、ウィーン室内弦楽オーケストラのクリスマス・コンサートに行ってきました。このコンサートのことは昨年末の学長室だよりにも記したところですが、これを聞きに行くのが、我が家(と言ってももはや妻と私の二人だけですが)の年末の恒例行事となっています。演目が、よく知られている非常にポピュラーなクラシックばかりで、詳しくない私らにとっては、ちょうどよいのです。例えば、"G線上のアリア"とか、"アイネ・クライネ・ナハトムジーク"、ヴィヴァルディの"四季"の"冬"等々です。そうした中で、私が特に気に入っているのが、"カッチーニのアヴェ・マリア"です。これは、バッハやシューベルトのアヴェ・マリアと並んで、三大アヴェ・マリアと言われているものです。曲の基調は抑制的で、それが"サビ"部分にくると、旋律の掛け合いとなり、最後に今まで抑えられていたものがバァーと吐き出されるような感じとなります。曲のイントロを聞いただけで、グッときますし、"サビ"部分では心が揺さぶられます。

この曲、"カッチーニの"となっていますが、実は、今では、ソビエトの古楽研究者・演奏家ウラジミール・ヴァヴィロフが作ったものだとわかっています。彼は、すっぽりとソビエト・ロシアの時代に生きた人で、イタリアのルネッサンス末期の作曲家カッチーニに仮託して、自作の曲を発表したのでした。

ヴァヴィロフ...というと、思い起されるロシアの学者がいます。植物学・遺伝学者ニコライ・ヴァヴィロフ。ロシア革命からスターリン期に生きた人で、ソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長を勤めていましたが、スターリンの支持を得たルイセンコに激しく敵視され、逮捕・投獄、最期はサラトフの監獄で餓死したと言われています。ルイセンコの唱えた学説というのは、獲得形質の遺伝を認め、メンデルの法則を否定するという、今からすれば荒唐無稽、奇妙奇天烈な「学説」なのですが、これがスターリンのお墨付きを得て、20世紀半ば過ぎまでソ連を支配していました。スターリン期のソビエトの生物学は狂気の中にいたとも言われる所以です。そうした中で、まともな科学者であり、世界的な評価も高かったニコライ・ヴァヴィロフは悲劇的な最期を遂げたのでした。

ウラジミール・ヴァヴィロフが、なにゆえ自分の名前でなく、他人の、それもかなり昔の人の名前で自作を発表したのか...その理由は定かではありませんが、そうしたことは、ソビエト期のロシアでは珍しいことではありませんでした。有名な例を挙げれば、ミハイル・バフチン。彼は、20世紀の人文系の学問に大きな影響を与え、特に文芸批評の分野では無視することのできない人物ですが、彼も他人名義でいくつかの重要作品を書いています。例えば、「マルクス主義と言語哲学」。この本は、私も持っていますが、著者名はヴォロシロフとなっています。翻訳もその名前で出ていました。

バフチンは、なぜこんなことをしたのか?それは、やはり、スターリン体制の中では、思ったことをそのまま表現することは、命に関わることであったからだと思います。ウラジミール・ヴァヴィロフの場合はわかりませんが、ネットで見ると、本来彼は演奏家で、作曲には自信がなかったからなどともされていますが、しかし、スターリンの権力は、音楽にも及んでいました。かのショスタコービッチは"ムツェンスク郡のマクベス夫人"というオペラ音楽でスターリンの不興を買い、その挽回に必死になっています。つまり、音楽とて例外ではなかったのでした。

さて、大統領職と首相職を渡り歩き、すでに25年、四半世紀もロシアの最高権力者の地位にあるプーチン。彼をスターリンになぞらえるつもりはありませんが(スターリンは彼より数段強大でしょうから)、しかし、彼には、選挙不正や、ジャーナリスト・元スパイ・政敵といった彼にとって厄介な人物の暗殺疑惑がずっとまとわりついています。この彼が起こした戦争が、はや3回目の年を越します。一体何人の死ななくてもよい人たちが死んだのでしょうか?これは、ウクライナの人たちはもちろん、ロシアの人たちとて同じです。

最初に記しました、私の行ったウィーン室内弦楽オーケストラのクリスマス・コンサートというのは、昨年も記しましたように2019年までは、実は、サンクトペテルブルグ室内合奏団のクリスマス・コンサートでした。それが、コロナで来日に制限がかかり、コロナが明けると、今度は戦争でサンクトペテルブルグの人たちが来れなくなったので、ウィーンの人たちに代わったのでした。同じようなプログラムをすぐに用意する企画会社にあらためて感心しますが、サンクトペテルブルグの人たちには、この人たちならでは、のところもあり、そもそも私はロシアの人たちが来るというので、このプログラムに関心をもち、聞きに行くようになったのでした。できれば、また彼らの演奏も聞きたいと思います。

ウクライナとロシアの人たちに、そして、今ももうひとつの拡大する戦争地域、ガザ、中東の人たちに、平穏で、安らかに眠ることができる日々が一刻も早く戻りますことを、そして、喜びに満ちた新年を迎えることができますことを。2024年の最後にあたり、心から祈ります。

関係のみなさま方、今年もお世話になりました。来年も引き続きよろしくお願いします。

「アート・アスレチック教育センター」

11月13日の水曜日、今年新設した本学アート・アスレチック教育センターのオープニング・イベントがありました。記念講演に、本学出身でパリオリンピックで、女子48kg級で金メダル、団体戦で銀メダルを獲得した角田夏実さんをお呼びして、「準備力」と題してお話し頂きました。また、本学2人目の栄誉教授称号を授与いたしました(お一人目は、栗山英樹WBC優勝監督)。大変盛況で、本学芸術館が一杯となりました。その時イベントの冒頭にしたご挨拶を掲載します。アート・アスレチック教育センターを、お見知りおき頂ければ幸いです。

――――――イベントでの挨拶――――――

本日は、アート・アスレチック教育センターのオープニング・セレモニーに多数のみなさまにご参加いただき、まことにありがとうございます。学長の國分でございます。日ごろから、ご支援頂いております団体や個人の皆様、並びに小金井市・国分寺市・小平市にお住まいの皆様にもご臨席を賜りました。心より深く御礼申し上げます。

さて、本学の名称である東京学芸大学の「学芸」という言葉は、「学問」と「芸術」諸般を表しており、本学の教育と研究において「芸術」と「スポーツ」はなくてはならないものです。そして、スポーツ、芸術の教育やそれぞれの専門で活躍する人材を数多く輩出して参りました。最近のことで申しますと、記憶に新しいパリオリンピックの女子柔道で、本学の卒業生である角田夏実さんが、抜群の強さで金メダルを獲得いたしましたし、また昨年度はワールド・ベースボール・クラシックの日本代表監督として、同じく本学の卒業生である栗山英樹さんが、チームを世界一に導きました。角田夏実さんには、後ほど、栄誉教授称号授与式とご講演をいただきます。

芸術とスポーツが、人生を豊かにすることは言うまでもありませんが、教育界では、現在、理数系人材の必要性から、理数系教育に重点がおかれるような動きが進んでおります。しかし、そうした中では、いっそう、芸術やスポーツに対する理解の必要性が増しています。Science、Technology、Engineering、MathematicsからなるSTEM教育より、ArtのAを入れたSTEAM教育が、最近では、よく言われるというようなことなども、そうしたことの現れかと思います。また、ウェル・ビーイングを重視する人の生き方からは、学ぶことが、何かを達成するための手段というのではなく、学ぶこと自体が楽しい、また、楽しみながら学ぶことができるということが重要で、芸術やスポーツは、そうした観点から注目されているところです。

本学では、こうしたコンセプトに基づき、そうした芸術・スポーツの研究開発、地域貢献を行うことのできるセンターを構想し、文部科学省に働きかけてきましたが、本年度から「アート・アスレチック教育センター」としての設置が認められました。こうしたセンターは、本学独自で非常にユニークな、先進的で、全国に類を見ないものでございます。

今後、こうしたコンセプトを体現すべく、特に、本学の芸術とスポーツの活動が、地域や社会に一層貢献できるよう、本センターを運営して参りたく存じます。みなさま方におかれましては、今後とも引き続きのご支援・ご協力をお願いしたしたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。これをもちまして、開会のご挨拶とさせていただきます。以上です。ありがとうございました。
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柔道家・角田夏実氏が東京学芸大学から栄誉教授称号を授与され講演会を実施 | 国立大学法人東京学芸大学のプレスリリース



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          栄誉教授称号授与の様子【左:学生 中央:角田選手 右:國分学長】

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                  栄誉教授称号授与の様子【角田選手】

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            本学正門通りバナーでの撮影【左:角田選手 右:國分学長】