2025年アーカイブ

「日本盲人社会史研究」(1)

NHKの大河ドラマ「べらぼう」を見ています。NHKHPによれば、「日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築き、時にお上に目を付けられても面白さを追求し続けた人物こと蔦屋重三郎の波乱万丈の生涯」ということですが、今ドラマの舞台となっているのは、ほとんど蔦屋重三郎("蔦重")が育った花街吉原です。その吉原の上級花魁"瀬川"、 "蔦重"の密かな恋人である彼女を莫大な金額で身請けする人物として登場するのが、市原隼人さん演じる鳥山検校です。この鳥山検校は、盲人に許されていた貸金業で財を成し、贅の限りを尽くしていたのですが、度が過ぎて、幕府から罰せられることになり、検校の位も財産も剥奪されてしまいます。結局は、瀬川とも別れることになります。江戸時代の日本の盲人男性は、ヒエラルキカルな組織、"当道座"をつくっていました。その頂点にあったのが検校位で、それは、大名に匹敵するとも言われました。盲人は、先ほど言いましたように、貸金業を営むことができ、それは幕府の庇護も得たもので、阿漕な取り立ても相当にしており、巨万の富を築く人物もいました。そうした盲人の生業が恨みを買うことにもなっていたことは、落語の怪談噺「真景累ヶ淵」などからもうかがい知ることができます。

『日本盲人社会史研究』という本があります。これは、日本近世――江戸時代の盲人の生活を、史料に基づいて丹念に解明した本で、われわれの研究領域における至宝、不朽の名著です。"当道座" のこと――考えてみれば、こうした組織体及び盲人に貸金業が許されていたことは不思議です――は、この本の中心的なテーマとなっています。1974年に未来社から出されたA5型函入上製本605頁の堂々たる大著です(写真)。鳥山検校のことも、この本にちゃんと記されています。度の過ぎた贅沢ゆえに処罰するという申渡書が引かれていて、「べらぼう」の話が史実であることがわかります。この本の著者は加藤康昭先生。先生は、全盲の人でした。

先生は、もともとは理科系へ進むことを希望されていたようですが、旧制一高時代に失明されたために進路を変え、戦後当時、唯一視覚障害者の受験を認めていた東京教育大学(現在の筑波大学の母体)を受験し、入学されました。しかし、入学後も、種々の差別に阻まれて、希望した進路ではなかったのですが、障害をもつ人の歴史研究の道に進まれたのでした。

私は、東北大学の助手でいた1990年に、所属していた小講座の夏の集中講義で加藤先生に来ていただいたことがあります。その頃の東北大学の教育学部は、教授、助教授、助手からなる小講座制という研究組織をとっていて、助手の仕事の一つに、非常勤講師の方の対応がありました。加藤先生は、私が小講座の主任教授である恩師の松野豊先生(故人)にお願いして来て頂いたので、加藤先生に対応することは願ってもないことでした。4日間行われた講義に参加するとともに、先生ご夫妻を宿泊先のホテルから大学まで送り迎えし、大学食堂での昼食をご一緒しました。(この稿続く)

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『日本盲人社会史研究』の実物:函から出して立てたところ

令和7年度入学式式辞

新入生のみなさん、ようこそ本学にいらっしゃいました。心から歓迎いたします。一昨年、新型コロナウイルスの感染症法上の分類が5類となり、ようやくパンデミックは収束しましたが、みなさんが受験・進学の準備をする上では、いろいろな影響があったことと思います。そうした中で、みなさんは、よく学び、今日の日を迎えました。その努力に敬意を表したいと思います。ご苦労様でした。

私は、今年で学長となって6年目で、任期の最終年度です。新入生のみなさんに式辞を述べるのも今回が最後です。そこで、大学・大学院での勉学・研究のスタートを切るみなさんに、学長として、大学の教員として、何より伝えたいと思ったことをお話します。これまでの式辞でも話したことのあるものなのですが、卒業生の方が憶えてくれていて、答辞の中で取り上げてくれたこともあり、あらためて同じ趣旨のことをお話しします。

私の専門は、障害児や発達の心理学です。20世紀初め革命期のロシアにヴィゴツキーという心理学者がいました。この人は、1934年に38歳という若さで、結核で亡くなった人ですが、現代の心理学にいまだに大きな影響を及ぼしつづけている人です。この人の言ったことに、「人間の発達というのは、ひとつの機能なり能力なりが単一でそれだけでぐんぐんと伸びていくというのではなくて、いくつかの機能・能力が結合して、新しい機能・能力が生み出されていく、そのことの繰り返しだ」というものがあります。どういうことかと言いますと、例えば、赤ちゃんは、マンママンマやバブバブバブと音声を発しますが、この赤ちゃんが持っている音声を発する能力が、意味づけを行う人間の能力である思考と結びついて、つまり、結合して、意味のある音声である"言葉"になります。この言葉というのは、単なる空気振動である音声にも、頭の中の思考にもない、新しいものです。この新しく誕生した意味ある音声である言葉が、今度は、いろいろな機能・能力と結合していきます。例えば、言葉とわれわれの運動能力とが結合すると、言葉によって運動を始めることができ、言葉によって運動を終えることができます。これが随意運動という新しい機能・能力で、これがまたいろいろな能力・機能と結びついていきます。こうしたことを繰り返していくのが人間の発達だという考え方です。

このように何かと何かの結合が新しいものを生むということは、製品の品質向上などでもよく見られることです。スポーツ界では、最近は、パラリンピアンの活躍も報じられるようになり、障害をものともしない競技の素晴らしさ、レベルの高さには随分と驚かされるところです。そうしたパラリンピアンの、例えば、義足の選手の活躍には、カーボンファイバー製の義足の開発ということが大いに貢献していると言われます。これは、カーボンファイバーという材料と、義足とを結びつける、つまり、結合させることで成立したものです。このような製品の品質向上は、経済の発展をよぶもので、経済学では、これまでにない新しい結合が、経済発展の契機として重視されています。これが、イノベーションと言われるものです。イノベーションは、以前は技術革新などと訳されていましたが、今は、新結合と訳されています。

さて、翻って、学問の世界を見てみますと、世紀の大発見や新学説と言われるものも、ゼロから何かをつくり上げたというより、これまでに知られている何かと何かを結合させることで得られたものが少なくないことに気づきます。例えば、私の専門の心理学でいいますと、神経症と夢とを結合させることで無意識の心理学、フロイトの精神分析が誕生しました。ダーウィンの進化論も、多様な生物の形態とマルサスなどの人口論を結合させたところで生まれました。また、20世紀の世界を変えたマルクスの唯物史観という歴史の見方も、経済史と、政治史・文化史等を結合させて、経済の動きの方を土台に置いて世界史を見るという視座から発したものです。

このように人が何かを創造するということは、ゼロから何か新しいものをつくるということだけではなく、これまで知られていることの間に、新しい結合を見つけ出したというようなことも多くあるということです。そして、その新しい結合をつくるためには、言うまでもないことですが、結合するものどうしのことを知っていなければなりません。

先ほど挙げたカーボンファイバー製の義足の開発は、カーボンファイバーと義足の両方を知る人がいて、はじめて可能になったことです。フロイトは、神経症と夢とを、ダーウィンは、多様な生物の形態と人口論とを、マルクスは、経済史と政治史、文化史等を知っていたから、新しい学問を創造することができたのでした。

これを敷衍するなら、人間の切り開いてきた知識という広大な世界で、どこにどのような知識があるのかを掴んでいるということが、創造にとって重要ということです。深く掘るには広く掘れという言葉があります。必ずしも詳しく知る必要はありません。だいたいあたりがつくということでよいのです。それが教養です。

みなさんは、これから大学・大学院で様々な学問領域を学ぶことになるわけですが、そうした中で、ひとつのことをぐっと掘り下げて学ぶことは大事ですが、一方では、視界を広くとって、人間の知識の大枠を掴む、そういう勉強の仕方も学んでほしいと思います。それは、遠回りのようにも見えるかもしれませんが、専門の領域を極め、新たな発見に通じる道ともなることに心をとめてもらいたいと思います。

また、みなさんは、これから本学で教員にも、そして仲間にも出会います。出会いというのは、結びつきをつくることです。これも結合です。

先ほどお話ししたロシアの心理学者・ヴィゴツキーのまわりの研究サークルには、多様な人たちがいました。ロシア人はもちろんですが、ヴィゴツキー自身が、ベラルーシ出身のユダヤ人でしたので、ユダヤ人も多くいました。また、今ロシアと戦火を交えているウクライナから来た人たちもいました。国として、ロシアとウクライナの間は、複雑な関係にあり、現在は残念ながら戦争状態にありますが、長く協同してきたことも事実です。ヴィゴツキーの研究サークルにいた有名なウクライナ人には、ザポロージェツという人がいます。この人は、元々は、アヴァンギャルドの映画監督エイゼンシュテインを慕って、ウクライナから出てきた役者で、その後心理学に志し、ヴィゴツキーの下で学んでいました。彼は、ヴィゴツキーとエイゼンシュテインとの間をつなぐ役割を果たしました。後に、ザポロージェツは心理学者として名を成し、ソビエトの就学前教育研究所の所長になりました。ヴィゴツキーの独創的な知見は、いろいろな人との繋がりの中で生まれていったと言ってよいと思います。そうした協働の中から、先駆的なアイデアが生まれていったのです。人と人との結合の力だと思います。

みなさんの本学での、学問と人との出会い、結びつき、結合が、みなさんの人生を変える素晴らしい出会いとなることを祈っています。 

能登半島では、昨年のお正月に起こった地震によりいまだ避難所生活をされている方が多々いらっしゃる中で、その方々を大水害や大寒波、豪雪までもが襲いました。さらに、先般大船渡市で起こった大規模な山火事でも焼け出された方々がいると聞きます。また、目を世界に転じれば、ウクライナ、ガザでは、戦火の中で困難な生活を強いられている人たちがいます。こうした人たちの生活が、人々の絆という人と人の結合に基づいて、平和と安全の中で、早くに以前に復することを願いつつ、私の式辞といたします。本日はおめでとうございました。ありがとうございました。

令和7年4月3日
東京学芸大学長 國分 充