2025年アーカイブ

令和6年度卒業・修了式式辞

卒業生、修了生のみなさん、ご卒業・ご修了おめでとうございます。一昨年、新型コロナウイルスの感染症法上の位置づけがようやく5類となり、パンデミックは収束しましたが、みなさんの大学生活には、いろいろな影響があったことと思います。しかし、みなさんは、そうした中で、よく学びよく研究し、今日の日を迎えました。その努力に敬意を表したいと思います。ご苦労様でした。

昨年、私は、卒業・修了式の式辞で、収束したばかりの新型コロナウイルスのパンデミックのこと、直近で起こり、復旧復興がなかなか進まない能登半島地震のこと、ウクライナ、ガザでの戦争のことに触れました。こうした、必ずしも平穏とは言えない中で卒業生・修了生を世に送り出すのはまことに残念だけれども、しかし、考えてみれば、これらは、これから世に出ていく人たちが向き合っていかねばならない世界の課題を象徴しているものでもあるので、卒業生・修了生に期待することなどを話させてもらいました。それから1年経って、世の状況は、残念ながら大きくは変化せず、むしろ、世界に大きな影響力を持つ国に強権的な指導者が現れるなど、状況はますます不安定化し、混沌としてきたようにも思われます。そこで、あらためて、昨年の式辞と同じ趣旨の話をし、卒業生・修了生のみなさんに期待することなど話させてもらいます。2つあります。

1つは、自然と人間の関係です。昨年は、ウイルスと地震のことを取り上げ、いずれもなくすことはできないという条件の下で対応を考えていく必要があり、備え・共存する道を探っていくことが、人類の課題ではないかとお話しました。今年われわれが経験した大きな自然災害に、復旧復興途中の能登をも襲った大水害、寒波と大豪雪があります。能登の輪島で、氾濫した川の水が室内に浸入してくる中で、LINEを送り続けるも亡くなってしまった中学生の喜三翼音さんは、可哀そうで、胸塞がる思いがしました。これらもやはり自然災害であり、備えることの重要性が失われることはないのですが、ウイルスや地震とは少し性格が異なっているようにも思います。というのは、これらは異常気象で、最近見られるようになったものです。そして、よく指摘されるように、その背景には地球温暖化があるとされます。昨年の夏には、天気予報で「危険な暑さ」という表現が現れ、毎日言われて慣れてしまいました。東京の自治体の学校の中には、今年は5月から10月まで、屋外での行事は禁止となったところもあると言います。また、この冬アメリカでも我が国でも続いた大規模な山火事も、地球温暖化が背景にあると言われています。この地球温暖化は、人間がもたらしたものです。とすれば、ウイルスや地震とは異なり、人間の営み自体を見直す作業が、自然との共存という中には、含まれなければならないということです。実際、そうした作業はすでに進んでいて、CO2削減などはそうした例です。人類の生存、自然との共存のために、こうした動きを一層早く進めていく必要があるということを、今年経験した大災害から学ばなければならないと思います。

2つ目は、人間どうしの関係についてで、戦争のことです。ガザの戦争は、現在ようやく停戦状態となっていますが、必ずしも楽観できる状況ではありません。イスラエルは、人質を奪還するためとしてガザの人々を追い詰め、無辜の子どもや一般の人々も逃げ込んでいる病院や学校に対し、テロリストの隠れ家となっているという理由で、空爆を繰り返しました。4万人をはるかに超える人が犠牲になったということに、愕然とします。そうしたガザの状態は、人道の「危機」にあると繰り返し報道されました。その中で、私が非常に驚いたのは、8月末から、ガザの子どもたちを対象に、ユニセフなどがポリオのワクチン接種を始めたという報道でした。ポリオ!!なんと、ポリオ!調べれば、7月にガザの子どもたちにポリオの集団感染が発生したとのことでした。私は特別支援の教員として、「肢体不自由の生理・心理・病理」の授業を担当してきました。授業の中では、子どもたちの運動障害の様態について触れるのですが、弛緩性の運動マヒとはどういうものかを説明する時に取り上げてきたのが、ポリオです。ポリオは、ポリオ・ウイルスによる感染症で、脊髄の運動神経を犯し、筋肉の緊張が消失する弛緩性マヒという運動マヒを引き起こすことがあります。子どもの間で大流行することがあり、下肢が弛緩性マヒでまったく動かなくなるというのが、よく見られた病態です。日本では1960年に大流行し、ソ連から生ワクチン、これは、弱毒化したウイルスを含むワクチンですが、それを緊急輸入して凌ぎました。私は1955年生まれですので、この時はまさに感染防止の主対象とされた年齢の子どもで、小学校の体育館でスプーン1杯のワクチンを飲まされたのを憶えています。子どもが飲みやすいよう、とても甘い液体でした。ポリオは便による経口感染ですので、衛生環境が良くなれば、さらにワクチンまで普及すれば、感染はなくなります。実際、ポリオの感染流行は過去のものになりました。肢体不自由のお子さんのための特別支援学校には、かつては、大流行の結果としての、ポリオによるマヒのお子さんがいましたが、今ではまったく見られません。実際、ポリオは、天然痘に次いで、根絶まであと一歩というところまで迫っているウイルスとされていました。私は授業の中で、このことを必ず言ってきました。それが今、ガザでは、集団感染が見られ、ワクチン接種が急がれるような状況にあるというのです。暗澹たる思いにかられました。ガザの衛生状態はどうなっているのか...。ガザは、人道「危機」の状況にあると繰り返し言われてきましたが、「危機」とはどういう意味だったのか、「危機」には、まだギリギリ持ちこたえているというニュアンスがあるように思いますが、そうではなく、「崩壊」していたと言うべき状態だったのだと思います。ガザの状況は、昨年よりわるくなっていると言わざるを得ません。

子どもたちも含めて、ガザの人たちをここまで追い詰めたイスラエルは、周知のように第二次大戦後に建国されたユダヤ人国家です。ユダヤ人が、第二次大戦中、ナチス・ドイツにより残酷に迫害され、強制収容所に荷物のように運ばれ、殺害されたことも、よく知られています。虐殺されたユダヤ人の数は、600万人と言われています。そうした蛮行の被害者であったユダヤ人の国であるイスラエルが、テロリストの一掃のためとしても、罪のない人をもここまで追い詰めるとは、言葉を失います。

そして、こうした犯罪行為を行ったナチス・ドイツと、世界で最大の戦死者を出しつつ戦った国が、ソビエト連邦です。第二次世界大戦のソビエト連邦の戦死者数は、2000万とも3000万とも言われています。ソビエト連邦は、1991年に崩壊しましたが、ロシアとウクライナは、それまで、ともにソビエトに属していました。膨大なソビエト連邦の戦死者には、ロシアの人もウクライナの人も含まれています。

ナチス・ドイツという人類の恥ずべき巨悪と、世界で最大の戦死者まで出しながら、ともにひとつの国として戦かった国と国とが、戦火を交えているというのは、なんとも残念なことです。ロシアがウクライナに攻め入って4年目となってしまいましたが、戦闘はいまだ止む気配はありません。両国ともに、一体何人の死ぬ必要のない人が死んだことでしょうか。ともにナチス・ドイツと戦った両国、民族的にも言語的にも近い両国、なんとかもう一度理解し合えないかと思います。

戦争の状況は、残念ながら、いまだ希望が持てるような状況にはなく、人間どうしの繋がりというのが、なんと脆く、また、人間どうしの理解とはなんと難しいものかと痛切に思います。しかし、であればこそ、粘り強く一層努力を重ねていく必要があると思います。戦争が、戦闘行為が、人を殺し、自分を傷つけ、物を壊し、破壊する不毛な人間の行為であることは言うまでもなく、平和を望まない人はいません。とすれば、言葉の通じる人間どうし、なんとか共存していく道を探っていかねばならないと思います。

ダイバーシティと言われ、生物界においては多様性こそ重要といわれています。現代を生きるわれわれは、自然とも、人間どうしでも、共存・共生の道が求められていると言うべきでしょう。これらは、簡単には解決に至らない大きな問題だと思いますが、人類が生存し続けるために、きちんと向き合っていかねばならない課題だと思います。

本学は、"有為の教育者"の養成を使命とし、教育者養成のフラッグシップ大学と自負してきました。実際、文部科学省からそうした指定を受けてもいます。そうした本学で学び、今日の日を迎えたみなさんには、教育に関わる領域ではもちろん、他の領域でも、社会の中でそれにふさわしい貢献をなすことが期待されています。本学で学んだみなさんには、そうした土台はしっかりとできています。自然と人間、人間と人間との現代の大きな問題を視野に入れて、"有為な教育者"として持ち場持ち場で活躍してほしいと思います。"有為の教育者"の、"教育者"というのは、教師と教育支援者のことです。一方、"有為"というのは、抽象的な言葉です。何にとって、どう"有為"であるかという具体的な中身を込めるのは、みなさんの仕事、みなさんに任されています。人間を変え、社会を変え、未来をつくっていくのは、教育です。教育の力を信じて、平和で安全な中で、生きることをみなが等しく謳歌できる社会をつくり、また、そうした社会を次の世代の子どもたちに手渡していってほしいと思います。

ロシアの革命家トロツキーは、「人生は美しい」と言いました。みなさんも、美しい人生を大いに享受してください。そうであることを心から期待していますが、しかし、いろいろうまくいかないこともあるだろうと思います。行き詰まるときもあるでしょう、また、病気になることもあるだろうと思います。そうした時は、本学と本学の教員を思い出してください。私たちは、いつもみなさんを待っています。みなさんの人生が、みなさんらしく、美しいものであることを祈っています。本日はおめでとうございます。ありがとうございました。

令和7年3月19日
 東京学芸大学学長 國分 充

2月になってしまいました...

年が明けて随分と経ち、2月となってしまいました。少し書き物等が立て込んで、「学長室だより」が後回しになってしまいました。大変失礼しました。年が明けてからこの間にしていたこと等を記して、本年の最初のごあいさつとさせていただきます。

昨年末に、国立大学協会の広報誌である『国立大学』の取材を受け、"日本の未来の鍵を握る教員養成"ということで、インタビュアーの井田専務理事(滋賀大学元学長)とお話をしました。おやさしく聞き上手な井田先生に甘えて、いろいろと取り留めのないことをお話してしまいました。今年に入り、井田先生と一緒にインタビューにいらしたライターの方が苦労してまとめてくださったゲラが届いたのですが、大幅に修正することになってしまい、大変に申し訳ないことになってしまいました。が、取材を受けた後に、悔やんでいた部分――インタビューの最後に、ライターの方から「結局どういう教員を育てたいのか?」という問いかけを受け、あまりに真正面からの問いであったので、咄嗟にうまく答えられなかったのでした――にも手を入れ、多少形を整えることができました。『国立大学』が出されたら、HPなりで紹介したいと思います。

1月末に東京で開かれた全国都道府県教育長協議会で、日本教育大学協会の会長の立場で、教育長の方々と意見交換を行いました。当方からは、教員養成大学・学部にとって教員就職率アップは至上命題なので、是非とも多くの学生を採用してほしいということや、教員志望の学生が一般企業に流れるのを防ぐために教員採用試験の早期化などが講じられている中で、3年次から教員採用試験の受験を認めるという方策は、学生の"教師になる"という動機づけを維持し、高めることができるので是非検討してほしいこと等、話しました。教育長の先生方からは、「教科の中には、教員養成大学・学部でも教職課程維持が危ぶまれているものもあるが、大丈夫か?」、「教職志望者を増やすためには、高校生への働きかけも必要なのではないか?」、「3年生からの教員採用試験受験を認めることは、大学のカリキュラム上問題はないのか?」等、いずれも現在の教員養成の問題の中心に触れるご質問・ご意見を頂きました。この意見交換は、私の前の出口学長の時代に始めたもので、私が学長になってからしばらくの間は、コロナ禍のために対面では行われていなかったのですが、昨年から対面での開催が再開されました。教員採用側のご意見を広く全国レベルで一挙に聞くことができる稀有な機会なので、これからも続けていく価値のあるものだと思います。

また、この1月から中教審の教員養成部会の臨時委員となり、1月末に教員養成部会の議論に参加しました。今回は委員の補充などを行った最初の部会ということで、委員全員が諮問に対する意見表明をせよということでした。諮問は、教職課程、採用・研修、社会人等登用の3点のあり方について、制度の根本に立ち返って検討するというものでしたが、諮問の重大なテーマには、「教師不足」にどう対応するかがあると思います。時間が限られていましたので、私は、教職課程にかかる部分について話しました。教職課程にかかる部分では、現行の教職課程で求めている単位数が多すぎて、学生に敬遠されているのではないか、それにより教員の志願者が減っているのではないか、ということと、少子化の中で教職課程の維持が困難になり、必要とされる教員数を輩出できなくなる事態が生じるのではないかということが、主要な論点のように見えました。そのため、前者については、もし単位数を減らすなら、今の2種免許状を標準とすれば20単位程度は負担が軽くなるが、それでは教師の質保証が十分でないきらいもあるので、教員養成フラッグシップ大学で開発している科目を4~8単位ほど積み増すようにしたらどうかということを、後者については、今後は国公私立の設置者を超えた連携協働が必要・必至となり、その場合に国立大学はその中心を担うことになるだろうというようなことを述べました。この連携協働については、地方では特に必要となってくると思います。国立大学が私立・公立大学と連携協働し、国立の単科大学は、そうした地方での連携協働を、もう少し大きな地域レベルで支えていくというような連携協働が、ひとつのスタイルかなと思っています。この部会での議論については、随時紹介していきたいと思います。

この年末からのアメリカの大火事や日本海側の豪雪等、地球環境の激甚たる異変が見られる中で、ウクライナ、ガザでの戦争はなかなか収まらず、さらに残念なことには、世界には強権的な指導者が増えています。自然と人間を巡る状況は、明るい展望が見られるとは言い難いものとなっていますが、教育の力を信じ、教育こそが人間の未来をつくるということを胸に刻み、"有為の教育者の養成"という使命を果たしていきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。