式辞

令和3年度卒業・修了式式辞(抄)

卒業生、修了生のみなさん、ご卒業・ご修了おめでとうございます。めぐりあわせとはいえ、コロナ禍の2年間、それが明けないうちに卒業、修了の年を迎えたこと、なんとも気の毒です。特に、大学院のみなさんには心残りもある2年間であったと思います。しかし、そうした逆境ともいえる状態の中で、あなた方は、よく学び、今日の日を迎えました。その努力に敬意を表します。

(略)

さて、フランスの哲学者・作家であるカミュの小説に「ペスト」という作品があります。これは、彼の代表作ともされる作品で、1947年に書かれました。ペストが蔓延し、閉鎖されてしまった都市、アルジェリアのオランの人々の姿を描いたものです。この作品は、コロナ禍になってよく読まれるようになったと聞いています。描かれている状況が、現在のわれわれが置かれている状況とよく似ているためだと思います。私も、この本について、また、作者であるカミュについて、昨年の卒業式、入学式で触れてきました。

この小説は、感染症という天災の不条理の他、信仰や倫理、友情、愛情のことなどを含む非常に重厚な作品です。が、その中心となっているのは、感染が始まり、拡大する中、病気に対するに十分な手立てもない中でペストに立ち向かう青年医師リウと、彼に協力して、ともに闘う仲間のタルーの姿です。

この小説にはいろいろと心に残ることがありますが、リウが、ペストとの勝負において、人間は知識と記憶をかちえたと言うところなどもそのひとつです。リウは、結局は、ペストと一緒に闘ったタルーをそのペストで失い、ペストとは、自分にとって際限なく続く敗北だと言いながらも、自分はペストを知った、そして、それを忘れない、また、友情を知った、そして、それを忘れない、さらに、愛情を知った、そしてそれをいつまでも忘れないにちがいないと言い、ペストと生命との勝負で、人間は、知識と記憶を勝ちえたと言います。

この言葉の意味を考えてみれば、リウが言う知識と記憶の形式を整え、公共に資するものにしたひとつの形が科学です。みなさんも、大学、大学院で、その作法を学んだと思います。これによって、人間は、不条理と思える事柄から解放されるべく努めてきました。このコロナ禍でいえば、例えば、感染防止の様々な対策です。

また、この知識と記憶というのは、人の慈しみ方、愛し方の作法でもあります。リウが、ペストのことを言った後に、友情のことを言い、そして、愛情のことを言っているのは、このことだと思います。人は、知り合って、心にかける、時に思い出す、これが人を慈しむということであり、人を愛するということだと思います。思えば、人はこうして人に元気づけられ、元気づけ合い、世界に立ち向かい、不条理と闘ってきた、闘っているのだと思います。人は、誰かとともに、誰かと同伴して闘っていくことができるということをあらためて心に刻みたいと思います。

知識と記憶によって、人間は、直にこの新型コロナウィルスを克服するでしょう。ワクチンもでき、特効薬もできてきています。現在、社会は、目に見えないウイルスにより疲弊し、鬱屈した状況となっています。しかし、明けない夜はありません、いずれ夜は明けます。今少し辛抱しましょう。

今後あなた方は、社会に出て、学生時代に増して、若さを享受し、活躍していくことになると思います。ロシアの革命家トロツキーは、人生は美しいと言いました。美しい人生を大いに享受してください。そうであることを心から期待していますが、しかし、いろいろうまくいかないこともあるだろうと思います、行き詰まるときもあるでしょう、また、病気になることもあるだろうと思います。......(略)......そうした時は、本学を思い出してください。あなた方を慈しんだ本学と本学の教員は、あなた方を忘れません。いつでもあなた方を待っています。あなた方の人生が、あなた方らしく、美しいものであることを祈っています。本日はおめでとうございました。ありがとうございました。

令和4年3月18日
東京学芸大学長 國分 充

令和3年度入学式式辞

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。昨年からのコロナ禍で、通常の学校生活を送ることができない中、よく学修を進め、今日の日を迎えました。みなさんの我慢、努力に敬意を表するとともに、頼もしく思います。

昨年は、新型コロナウィルスの感染が世界中で拡大している最中だったため、入学式を開催できませんでした。昨年の新入生、今の2年生には、なんとも気の毒なことをしたと思います。そのため、本日午後に、1年遅れの入学式を開催することにしています。

昨年は、入学式のあいさつに代えて、本学のHP上に、新入生へのメッセージを記しました。その時取り上げたのが、フランスの文学者・哲学者アルベール・カミュの書いた"ペスト"という小説でした。これは、今から70年ほど前に書かれた有名な小説なのですが、それが昨年の今頃、あらためてよく読まれていると聞いたからでした。これは、ペストが蔓延し、閉鎖されてしまった都市―アルジェリアのオランで、病気に対するに十分な手立てもない中でペストに立ち向かう青年医師リゥーと仲間となったタルーの闘いを描いたものです。この状況が、新型コロナウィルスの感染が広がっている現在の状況とよく似ているために、よく読まれているのだろうと書きましたが、その後、この小説は、刷数を重ねて読まれていると聞きます。

この「ペスト」の著者カミュは、この小説の舞台となったオランの位置するアルジェリア、当時はフランスの植民地でしたが、そのアルジェリアで生まれ、育っています。父は農夫でしたが、第1次世界大戦で戦死してしまいます。そのため、母は、自分の母、カミュにとって祖母に当たる人の家に身を寄せますが、その暮らしは、極貧と言うべきものでした。家を取り仕切っていた祖母は、カミュの靴に長持ちするよう釘を打ち、カミュがセメントの校庭でボール蹴りをして靴底をすり減らしてきていないか、毎日靴を点検したと言います。こうした家計状態ですから、小学校を終わった後に、さらに上級の学校に行くことなど、まったく考えられなかったのですが、カミュの聡明さ、才能に気づき、上の学校に行くことを勧めたのが、小学校の担任であったルイ・ジェルマン先生でした。カミュは、教師との出会いに恵まれていた人でした。このジェルマン先生もその一人です。彼は後にそのころのカミュのことを、「授業を受ける君はいつもうれしそうでした。君は本当に楽しげな表情を浮かべていました。」と言っています。ジェルマン先生は、カミュの上級学校への進学を勧めるため、祖母を説得しようとします。カミュの家を訪ねた先生は、家のあまりの貧しさにたじろぎながらも、戦死者の子弟は奨学金で学ぶことができること、カミュの聡明さなどを話し、祖母を説得するのに成功したのでした。

この出来事が、自分を世に出す最初の一歩となったことを、カミュは生涯忘れませんでした。カミュは、現在に至るまで戦後最年少の43歳でノーベル文学賞を受賞者しますが、その受賞のスピーチを、貧しい境遇でも彼を深く愛し続けた母と、ジェルマン先生に捧げています。そして、ジェルマン先生へ手紙を書き、次のように記しています。「母の次に私の心に浮かんだのは先生のことです。先生がいらっしゃらなかったら、そしてあの貧しい小さな子供だった私に愛情のこもった手を差し伸べ、教えと手本をしめしてくださらなかったら、このようなこと-ノーベル文学賞を受賞するということ-は決して起こらなかったでしょう。私はこのような栄誉を大袈裟にはとらえてはいません。しかし、それでも、これは私にとって少なくとも、先生が私にとってどのような存在だったか、そして今もどのような存在であり続けるのかを告げる良い機会です。先生の努力、先生の仕事、そして先生がそこに込めた寛容な心は今も先生の小さな生徒の一人であった人間の中に生きています。時を経た今も、私は先生に感謝を捧げる生徒です。」感動的な文章だと思います。私は、この文章の中で、カミュが、自分を「生徒」、「小さな生徒」と言っているところがとても好きです。教師というのは、小さな生徒の生涯に、かくも大きな影響を与えるのです。

ジェルマン先生の姿には、カミュが言うように教師という仕事、何をするべきなのかが示されており、そして、教師という仕事の生きがい、やりがいが何であるかも見出すことができます。

みなさんは、それぞれにやりたいこと、学びたいことがあって本学に入学してきたのだと思います、なかにはそれが見つからず、それを見つけに来た人もいると思います。それはそれでいいのです。そうした本学に入学した目的に従って、思う存分活動してください。本学にはあなた方のやりたいこと、学びを助ける条件が整っています。何より本学にはジェルマン先生がたくさんいます。そうした本学の教員と、カミュとジェルマン先生のような一生続く関係を築いてほしいと思います。本学で、あなた方のジェルマン先生と、そして、仲間たちとともに学び、学修したのちには、今度は、みなさんが誰かのジェルマン先生になってほしいと思います。そうした学びを期待しています。ありがとうございました。