2025年アーカイブ

「東京学芸大学柔道部活動報告2025」の巻頭言

本学柔道部の顧問を務めている関係で、柔道部が毎年出している活動報告書「東京学芸大学柔道部活動報告2025」の巻頭言を記しました。本学健康・スポーツ科学講座の久保田浩史准教授の指導の下、柔道部の活躍ぶりを知っていただきたく、この学長室だよりに転載します。

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乱取りで自由に組み合うこともままならなかったコロナ禍が、だんだんと遠い記憶の一部となる中、部員たちは今日も熱心に練習に励んでおります。監督の久保田浩史先生は、柔道部の強化に今年も引き続きインテンシブに努めてくれました。部員たちも久保田先生の熱心な指導によく応え、今年もまた立派な成績を残してくれました。主たるものをあげると以下のようです。

団体戦では、女子は6月の全日本学生女子柔道優勝大会五人制団体でベスト8、男子は9月の全国国立大学柔道優勝大会で第三位となりました。これは、どちらも4年連続というもので、これまでの練習の成果が出ていると言ってよく、まことに立派な戦績です。

個人戦では、OGの方の成績も含めてですが、2月の全日本シニア柔道体重別選手権大会において川添花菜さん(2024年度卒)が48kg級準優勝、堂崎月華さん(2022年度卒・センコー)が57kg3位、8月の全日本実業柔道個人選手権大会において荒川朋花さん(2022年度卒・ミキハウス)48kg級優勝、髙野綺海さん(2019年度卒・博士課程3年・日本エースサポート)が63kg級第3位、11月の講道館杯全日本柔道体重別選手権大会において荒川朋花さんが48kg級で、落合倖さん(生涯スポーツコース3年)が52kg級で、髙野綺海さんが57kg級で、3位になりました。強化選手に本学関係者が4名(角田さんを含めて)もいるというのは快挙です(形部門では久保田監督も強化選手です)。パリ・オリンピックのゴールド・メダリスト角田夏実さんは、体重無差別の皇后盃全日本女子柔道選手権大会に出場し、最軽量級ながら2勝してベスト16になりました(4月)。また、2月のグランドスラム・バクー大会では48kg級で優勝、もはや貫録勝ちの域というべきでしょう。この大会には、髙野綺海さんも出場し、講道館杯に続いての活躍で、57kg級で準優勝しました。女子部員の活躍は、スーパーアスリート入試を含む推薦入試と、久保田監督の指導とが相俟っての成果だと思います。

私事で恐縮ですが、当方、2026年の3月で学長任期を終えます。結局、大学以外を知らない人生でしたが、高校から始めた柔道、決して熱心な部員ではなかったのですが、結局今残っている人間関係は、柔道関係が主となっています。現役でいたときはそれほど愛していなかった柔道でしたが、今は感謝しています。本学柔道部との関係は、前任校の金沢大学で柔道部の顧問を務めており、その時に部員たちが合宿で元本学教授の射手矢先生にお世話になったということが機縁でした。おかげで、昨年も書いたことですが、全国制覇したチームの関係者(顧問)となるという滅多にできない経験ができました。まことにありがたいことだと思います。

OB・OGの方々、また、関係のみなさまの本学柔道部に対しての日頃よりのご支援・ご協力に心より感謝申し上げますとともに、引き続きよろしくお願い申し上げます。

「ありがとうございました」

もはや大分前となってしまいましたが、この欄で何度か触れたNHKラジオの「ラジオ深夜便」の「明日への言葉」というコーナーで、歌人で細胞生物学者の永田和宏さんが、「老いを照らす短歌」というテーマで話をされていました。いくつも心に沁みるお話がありましたが、やはり歌人であり、2010年に亡くなられた奥様の河野裕子さんとの思い出を語る中で、河野さんの病状が重くなり、もはやお別れも近いと感じられるようになってきた時に、「ありがとう」という言葉をどうしてもかけることができなかったというお話が印象的でした。なぜ言えなかったかというと、「ありがとう」と言うと、別れを認めるということになってしまうからだと言われていました。

この「ありがとう」と別れということに関して、もうひとつ、永田さんが「後悔している」とも言って話されたことに、恩師との別れがありました。永田さんの細胞生物学の恩師である市川康夫先生が死の床にあった時、お見舞い――これが最後になると、お互い科学者なのでわかっている――を辞する際に、永田さんは、「先生、ありがとうございました」とは、どうしても言えなかったそうです。そう言うことは、"これでお別れです"ということになるためです。それで、「また来ます」と言って病室を出たのだそうですが、その後を追いかけるように、ドアの向こうから、市川先生が「永田君、ありがとう!」と叫んだのだそうです。それを聞いた永田さんは、ひどく嗚咽してしまって、ちゃんと先生に伝わるように「ありがとうございました」と返せたかどうかが分からず、そのことを強く後悔していると言われていました。市川先生はその晩に亡くなられたそうで、何とも心揺さぶられるお話でした。

私の恩師の松野豊東北大学名誉教授は、2021年3月にご自宅で91歳の生涯を終えられました。病気で臥せられていたわけではなく、全体的に弱られていて、苦しまれることもなく普通の生活を続けられている中で亡くなったと聞いています。コロナ禍の最中だったため、ご葬儀もご身内だけで済まされ、私が先生と最後にお会いしたのはいつだったか、はっきりしなくなってしまいました。私も、先生にきちんと「ありがとうございました」とお伝えする機会を逸してしまいました。何とも残念です。

松野先生は、私が学長になると報告した6年前、「身体の隅から隅まで健康診断を受けて、学長職に臨みなさい」というお手紙をくださいました。その学長職も6年目となり、任期終了まで残り半年を切りました。心は、終了モードとなりつつありますが、残りの期間、でき得ることをきちんとなして、お世話になった東京学芸大学に、きちんと「ありがとうございました」とご挨拶して、お別れできるようにしたいと思います。

追記:この文章を、いつも学長室だよりをチェックしてもらっている本学職員M係長(本人が名前を出してくれるなというのでイニシャルにしますが、いずれわかるように女性です)に見せたところ、永田和宏さんは彼女が好きな歌人の一人だそうで(M係長はお茶の水女子大学で日本文学を専攻し、卒論は短歌だったと聞いています)、恩師とのエピソードも知っていました。そして、さらに、このことを詠んだ永田さんの短歌もあることを教えてくれました。3首ありました。こうしたエピソードを知って読むと、いっそう胸に迫るものがあります。

・「ありがとう」と病室よりぞ聞こえたる逃げるるごとく出でし廊下に

・そんなにも大きな声の残りしか「ありがとう」なる声は最期の

・亡くなってしまえばそれが前日か会いたりきまこと死の前日に

それにしても、身内のこととはなりますが、うちの職員は優秀だとあらためて感じ入りました。M係長に「ありがとう」と御礼したいと思います(お別れはもう少し先ですけど)。