テムズ川の畔(ほとり)
イギリスの風景を楽しむ
週末になると、テムズ川の畔(ほとり)を軽くジョギングする。たいてい一時間ほどのものだ。朝、走ることもあれば、夕方、走ることもあって、決して規則的なものではないけれど、週末になると大抵走る。ランナーだというにはほど遠い未熟なジョギングしか私はしないし、できないのだけれど、それでもそれは私の大切な趣味のひとつでもある。ただ、走って少し疲れる、という単純なプロセスが好きなのだ。
見慣れない場所を走るのは少しどきどきする。第一に、新鮮な風景を楽しむことができる。そして、第二に、道に迷いはしないかと走りながら、どきどきする。テムズ川の畔のランニング・ロードに辿り着くには、自宅から数キロ走らなくてはならない。そのあいだにはほとんど住宅しかないひっそりとした通りがあるのだが、点在する教会や商店がランドマークのように見え、道を見失うことはほとんどない。私が住むこの街は、或いはイギリスという国の全体的な傾向なのか分からないが、ほとんどの住宅が同じような形、色に映り、不思議な一体感を醸し出している。レンガ造りのそれらの建物には、おそらく建てられてから100年以上経っているものも少なくはないだろう。いずれにしても、レンガを巧みに組み合わせた重厚な家々が道の両脇にびっしりと並んでいるのを尻目に走っていると、私は、ようやくここが外国なのだと理解するに至る。
街の雰囲気といえば、例えば、ビートルズがそのバンドの晩年に発表したレコード『アビー・ロード』のジャケット写真は、それをうまく描き出しているような気がする。あの写真のような風景がイギリスにはいくらでもあるのではないか。ちょうどあの写真のように自動車が道の脇に何台も停めてあるのもそっくりだ。
すれ違う若い女性のランナー、年老いた男性のランナー。彼らもまたそれぞれのゴールに向かって走っているのだろう。ミネラル・ウォーターを手に握りしめて走る人、ヘッド・フォンから流れる音楽を楽しみながら走る人。私たちは、目が合うと会釈をしたり、手を振ったりして存在を確かめ合っている。そこには国籍や言語といったバリアが取り払われた世界が静かに漂っている。目を遠くにやると、道路を挟んだ向こう側のパブのテラスでは、何人かの男たちが日の暮れる前からビールを楽しんでいる。その場所にはその場所の平和的な空気がある。
テムズ川に向かってゆっくり走っている。そこへ行くには、ロンドン通り (London Road) という名の通りを抜けていくのが便利だ。ちなみに、ここはロンドン市内ではない。ロンドンは急行電車に乗って東へ30分以上行かなくてはならないくらい遠い。この道をずっと行くとロンドンにまで繫がっているということなのだろうか。私の暮らす街では、通りの一つ一つにこと細かく名前が付けられていて面白い。そして、ロンドン通りをしばらく走っていると、マンチェスター通り (Manchester Road) という通りとの交差点に出くわす。どうやら自動車が進入できないようになっている。ここから人々はマンチェスターへ行くということなのだろうか。確信はないが、走っているときは短絡的にしかものを考えられない。そこから20メートルか30メートル走ると、今度はリバプール通り (Liverpool Road) と交差する。リバプールへはここから行くのが便利なのだ。なんだかイギリスの主要都市を俯瞰しているような不思議な気分になる場所である。しかも、いま、私のヘッド・フォンからは偶然にも『アビー・ロード (Abbey Road)』が心地よく流れている。ところで、日本で聞くビートルズとイギリスで聞くビートルズとでは、何か違いがあるかと、尋ねられたら私は即答することができる。何も違いはない。それでも、ときどきビートルズの音楽を聞くのは、せっかくイギリスで生活しているのだから、という思いからで、考え方としてはほとんど矛盾しているがあまり気にせず楽しんでいる。
ロンドン通りを左折して高速道路のほうへ向かっていく。ここを曲がるとテムズ川はもう目と鼻の先だ。インター・チェンジがそこにはあって、脇の歩道を走っていると、減速を促すサイン・ボードが見え始める。そこから、羽振りの良さそうな男がきれいな女性を横に乗せて運転するオープン・カーが滑り降りてくる。これから彼らはどこへ行くのだろう、などと余計なことをふと考えたりする。右手にはコンピュータ工場があり、左手にはテムズ川が静かに流れている。空は抜けるような美しい色彩を放っている。
テムズ川の畔にやってくると、そこにはサイクリングや散歩を楽しむ人が集っている。そしてジョギングのための格好をした人も幾人かいる。この有名な川は、ロンドンまで繫がっているという。有名な時計台「ビッグ・ベン」を訪れたことのある人は、そのすぐ傍を流れる大きな川を目にしているはずなのだが、それがテムズ川である。
川にはほとんど流れがなく、どちらに向かって流れているのかが分からないほどだ。そこを小さなボートが西へ行ったり、大きめのボートが東へ向かったりしている。そしてその周囲では無数のカモたちが休日を楽しんでいる。緑豊かな川の側を道なりに走っていく。犬を連れて散歩に訪れている人も少なくない。綱を離して犬を自由に走らせている飼い主もいる。しかし、ここで断っておくと、私は犬が大の苦手なのである。大きなものであれ小さなものであれ、犬や犬のような顔をした動物に(或いは、そういった人間にさえ)恐怖を覚える私にとって、そこがイギリスであろうと、日本であろうと、ウランバートル市内であろうと、繋がれていない犬に出くわすことほど不幸なことはない。犬を愛する人々には申し訳ないのだが、これはごく個人的なこととして、私は、犬なしの人生を歩んでいきたいと決意しているくらいなのだ。それでも、ジョギングをするからにはこうした事態に備えて、犬に用心しながら走る技術を習得しなくてはならないのは難点である。以前、犬を愛する英国人にその話をしたら、どうしてそんなに犬が嫌いなんだいと尋ねられた。幼い頃に犬にしつこく追い回されてからというもの、それがトラウマになっているんだと私は答えた。彼は「こころから同情するよ」とだけ答えた。こうしたエピソードは、誰にでも理解できる種類のものではないのかもしれない。
うっかりと、話がずいぶん反れてしまったが、私は、いつもジョギングをこの辺りで折り返すことにしていて、ここから先の風景は、ここまでに書いたものとほぼ同じようなものになるので、今回は省略させていただきたいと思う。いずれにせよ、ジョギングをしていると、好ましいものから、それほど好ましくないものまで、様々なものや事象との遭遇がある。「犬も歩けば、……。」という言葉がある。私は犬ではないし、犬の立場など考える気にはなれないけれど、内容はともかく、こうしていくつかの話題をを覚えて帰ってこられる訳だから、ジョギングはなかなか悪くないのだと思う。
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