titleback.png

vol_008_bar.png

P1140359.JPG

フィッシュ・アンド・チップス店の商品例。
チップスはフライドポテトでフィッシュは魚のフライである。ただし、ここにはチップスはあるけれど、フィッシュがついていない。代わりに長いソーセージが添えてあり、さらにトマトソースのベイクド・ビーンズがついている豪華セットです。

フィッシュ&チップスと私の国際関係論

  イギリスに来る直前、まだ日本にいて出発の準備をしていた頃に、近所のおばさんに尋ねられた。「イギリスってのは、何語を話すんだい?」。これまで何の疑いもなく前提としてきた理解を徹底的に破壊するようなその質問に、私は一瞬、凍り付いた。それでもすぐに体勢を整えて「英語、だと思いますよ、多分……。違うかもしれませんが、ははは」。辛うじてそう答えることができた。そのおばさんがこれまでの人生を特にトラブルなく過ごしてこられたのは、運が並外れてよかったからのか、それとも本質的に、人生には深い教養などというものは必要ないからなのか、どちらなのだろう……。そうした、あらゆる哲学の出発点ともいえる問いについて私は自分なりに考え、悩みながら今日に至っている。いちいち悩む必要のないようなところで悩む自分も自分なのだが、とにかくそれは非常に印象的な旅たちの前のエピソードとなった。

  ところで、イギリスにいざ到着し、学校に行ってみて驚いたことがある。そこにいたのはほとんど中国人だったということだ。留学生の8割は中国人であった。残りの1割はタイ人、そしてさらにその残りの中に私のような日本人や他の国の人々が肩身の狭い思いで静かにいる、という感じだった。なぜ肩身の狭い思いをするかというと、その空間では、共通語は中国語か、もしくはタイ語だからだ。どちらも私にはよく分からない。まともな勉強をしたことがないのだから仕方のないことなのだ。なお、その学校は語学学校だし、語学能力のレベルによってクラスを振り分けられるので、アジア人中心の教室が存在することは不自然なことではない。それでも中国人の数は圧倒的だ。学校のディレクターの話では「昔はもっと日本の学生もいたんだけどねえ、いつの間にか割合が変化したね」。

  私は、分からない言語を耳にしても、ほとんど気にせずやり過ごす方法を自分なりに鍛えてきたので、とくに生活に支障はない。つけっぱなしのラジオのFM放送を聞き流すみたいに知らん顔ができる。以前暮らした国でほぼ完全にマスターした技術なのだ。けれど、それでも、あまりに多くの人々が中国語やタイ語で話をしているのを前にすると、ぎょっとしてしまう。故郷で尋ねられたあのおばさんの問いが、意外な場面で思い起こされた。

  実を言うと、ここにはもっと難しい問題があった。中国やタイの学生たちは、日本語の単語を少し知っていて、例えば「こんにちは」とか「ありがとう」といった使い勝手のいいフレーズを気軽に私にぶつけてくる。そのことはとても嬉しい。たいてい、そのあとには、東京の出身ですか?などと英語で尋ねられる。「某という日本のアニメが好きなんです」などと言われたりもする。けれども、私は例えばタイ語でどう挨拶をするのか知らない。その瞬間、ものすごく恥ずかしい気分になる。何か相手に酷いことをしたような気になってくるのだ。中国語にしても、せいぜい「ニーハオ」とか「シェイシェイ」、それと自己紹介のためのワン・センテンスくらいは辛うじて言えるが(以前友人に教えてもらったから知っているに過ぎない)、発音が難しくて伝わらないこともある。こないだ、ついにタイ人からは挨拶表現を教えてもらった。でも、たいてい、ここぞというときには忘れてしまって思い出せない。知らないことはどうにもならないのだけれど、恐縮してしまう。

  外国へやってきていつも身にしみて分かるのは、「私が思っていたより、日本は有名で人気のある国だ」ということだ。とりわけ家電製品やカメラのブランドは知名度が高いようで、多くの人々にそのことについて尋ねられる。東京とか大阪を訪れたことがあるのですが、すごく楽しかったです、日本料理も最高でした。といった話をよく聞かされる。アニメ文化に詳しい人もとても多い。日本人だと言うだけで、にこにこしてくれる人もいる。もちろん、半分はお世辞かもしれない。面と向かって、あなたの国の料理はまずくて食べられたものじゃない、などとは、さすがに誰も言わない。いや、しかし中国人やタイ人は、イギリスのご飯はまずい、まずい、とけっこう大声で言っているのを思い出した。これは本当のことだ。彼らは、言うときは言うのだ。フィッシュ・アンド・チップスだって、私はけっこう嫌じゃないのだけれど。

  日本は、第一には先進国と見なされている訳だが、平和的な憧れの国の一つのように思っている人が少なくないような気がする。それは日本人としては、ちょっと嬉しい。なんだ、日本も捨てたものじゃないんだな、などと思ったりもする。私は、自分の祖国をものすごく愛しているとか、憎んでいるとか、そういうことを考えたことはあまりない。考えたほうがいいのかもしれないし、そんなことはないという人もいるかもしれないけれど、個人的にはそれが必要だと思ったことがこれまでのところない。もう少しはっきり書くと、考えなくても特に困らなかった、というくらいのことだが。何かの縁で生まれてしまった場所だし、上手に付き合っていく他ないと思う。嫌だなと思うこともあれば、よかったなと思うこともある。総じて「住めば都」とはよく言ったものだよな、というような思いがある。どんな場所にも二面性があって、結局のところ居心地はいいのだ。でも、外国の人から、日本っていいですね、と言われるのは少なからず喜ばしい。私が日本の何かに貢献したという自負は全くないのにも関わらず。しばしば感じることだが、他の国や地域の人からどのように理解されるか、ということは案外重大なことなのではないか。外国に行ったときに暖かい目で対応してもらえるかどうか、の問題に関わってくるのだ。もちろんそんなことは小さなことかもしれないが、取るに足らないことでもない気がする。

  だから、外国に住んでいると、日本の外交問題には敏感になる。いつの時代も外国との問題はなくならないし、今も、日本はいくつかの問題を抱えている。これからも全ての問題が解決することなどないだろうし、解決しようとする行為がまた問題を作り出すというジレンマもある。問題を解決するための手段は一つとは限らないし、一方で根本的に解決できない問題もあるのかもしれない。けれど、他のあらゆる国や地域の人々が、日本っていいですね、と言ってくれる外国人たちの想像が酷く裏切られない形でこれからの進歩を期待したいと夢想家の私はシンプルに思う。

  ところでこないだ、ある中国人の友人と一緒に、深夜にフィッシュ・アンド・チップスを食べに近所の店に出かけた。私たちにとって初めて入る店だった。友人は「お、こいつはなかなかいけるじゃないか、いつも不味いんだけど」と口走った。店員から彼に注がれた鋭い一瞬の視線が鮮明に私の脳裏に焼き付いている。彼らは、言うときは言うのだ。しかも大声で。

Vol.008の原稿が届きました!イギリスで勉学に励む桐山さんへメッセージを!

bo_pagetop.pngbo_pagetop.png

vol_011-020.pngvol_011-020.png

vol_001-010.pngvol_001-010.png

vol_010.pngvol_010.png

vol_009.pngvol_009.png

vol_008.pngvol_008.png

vol_007.pngvol_007.png

vol_006.pngvol_006.png

vol_005.pngvol_005.png

vol_004.pngvol_004.png

vol_003.pngvol_003.png

vol_002.pngvol_002.png

vol_001.pngvol_001.png

vol_index.pngvol_index.png

portrait.png

桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

mogal_barbo.pngmogal_barbo.png