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学校のグラウンド

 いま学校で教えてもらっていること

  学校に毎日通っている。朝の9時15分に授業が始まる。遅れてくる学生もいるが、ほとんどは時間までにやってくる。実を言うと今、私は英語の勉強をするために学校に通っている。それも、かなり大真面目に。外国の大学で勉強をするとなると、その国の言葉を覚えなければならないのが大原則なのだが、それは英国でも同じで、英国なら英語の能力が求められる。共通のテストがあって、そのスコアで英語能力を判断されるのが通常なのだけれど、その結果が運命の分かれ目となる。試験での成績が大学の求めるレベルに達していない場合にはそのレベルに達するよう、学校での特訓を課されるのだ。もちろん能力が高い人はよい成績を獲得できるので、このような学校に通う必要がなく、家でのんびり読書でもしていればいいということになるのだが、あいにく英語力の高くない人は、そうすることが許されない。私は、まずいことに英語能力の高くない人間なので、ほとんど強制的にその種の学校に通わされている。英語クラスでまともな英語力を習得し、はれて学校のコースに入学できるのだ。だから私はまだスタート地点にすら立っていないとも言える。ちなみに、リスニング、リーディング、ライティング、スピーキングの四つの能力を測るその試験を受験することは、英国を始めとしたいくつかの国で勉強をするために必須とされている。そして、受験料は決して安いものではない。私の想像では、なかなかのよいビジネスがそこにある。たぶん、よく計算された巧妙な仕組みが。でも、そんな下らない想像をして時間をつぶしているくらいなら、英語力を伸ばす努力をするほうが賢明よと言われれば、私は下を向くしかなくなってしまう。

  では、いったい、どのような授業に参加しているのかというと、実はなかなか興味深い内容である。この英語コースは、外国人が大学で論文を自分の力で書くための最低限の能力を授けるという明確な目標に基づいて設計されている。だから、論文やプレゼンテーションのための考え方や作成手順を学んでいくようなコンテンツが中心だ。日常会話の練習をするとか、英語で手紙を書くための特訓をするというのとはちょっと視点が違う。リーディングの講義では、ニューヨーク・タイムズなどの新聞記事や実際の学術論文などを読むことがあるし、リスニングの講義なら、実際の講義のレコーディングしたものを聞いて、中心となる話題についてディスカッションする。

  また、イギリスのこういったプログラムでは、全般的なアカデミック・スキルの基礎の獲得を目指すために、『クリティカル・シンキング』という思考方法を徹底的に教え込まれる。クリティカル・シンキングという言葉はすでに日本でも珍しいものでは無くなってきているが、その概念は意外に奥が深い。「論理思考」と訳されることもあるが、簡潔に表現するなら、批評的な視点でものを捉えたり考えたりする方法論のようなものだ。クリティカル・シンキングの概念の中にあっては、例えば、リーディング・スキルのトレーニングに於いては、記事や論文などのひとまとまりの文章を読むために、まず、自ら、それを読む目的を用意しなくてはならない。自身の研究や論文執筆に活かすことが前提にあるからだ。あなたが抱えている「問題」、あるいは「問い」とは何なのか。その問いの回答の一部やヒントを探すために、過去の研究を参照する。そしてそれに基づいて、取り扱う一連の文章の主要な考えは何か、その考えを支えている根拠は何か、などといった情報を素早く抜き出していく。これらは一定の客観性を得られるまで検証が繰り返されることになる。

  ただし、いくらこれが『大学で研究するための必要なスキル』だと言っても、これは英国のものであって、あなたの祖国のやり方とは異なっているかもしれません。英国ではこれに従う必要がありますが、これが唯一の正しい方法という意味ではありません、といった内容の言葉をどこかで読んだ。

  教室で、私の席の横には中国から来た18歳の小さな女の子が座っている。昨年までは教壇に立って、20歳くらいの学生に偉そうな顔をして教えていたにも関わらず、現在では18歳の子と机を並べて仲良く勉学に励んでいる。もちろん大学を卒業した留学生もそこにはいるが、それでも、私はかなり年老いているように感じる。さらに、担当の教師は33歳だというから私と一歳しか違わない。そして、そのことに、どこか滑稽さの含んだ平和な空気を私は感じ取っている。教師と学生という関係性や学生と学生という関係性を楽しみながら、そして、大変に若い世代の連中に囲まれて奮闘しようと試みているところなのだ。

  それにしても、宿題というのは厄介なものである。毎日課される宿題に私は四苦八苦し、それと同時に、今までに私の課した宿題によって苦しめられた学生たちに少し恐縮する。でも、勉強するということは、どんな種類のものであれ、教室の中だけで行われるものではないし、最終的には個人的なものに帰結していく訳だから、割り切って熱心にやる。なんだか大学受験生の頃に体験したあの感覚に似ているが、我慢してやる。

▼開始早々に、もうVol.2の原稿が届きました!イギリスで勉学に励む桐山さんへメッセージを!

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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