ある女子大生の噂話
この月曜日は休日なのだそうだ。バンク・ホリデー(Bank Holiday)という日だとか誰かが言っていた。ご存知の方もいるのだろうけれど、不案内な土地のために私にはまだ分からないことが非常に多い。バンク・ホリデーって何なのだろう、と思っていた。銀行(Bank)の何かにまつわる何か、もしくは土手(Bank)に関係する日なのか……。でも、土手の記念日だとしたら、いったいどんな歴史がそこに隠れているだろう。例えば、何世紀か前に大きな洪水で堤防が決壊し甚大な被害が出た。その反省を込めてイギリス議会では、バンク・ホリデーなるものに合意した。こんな話もあり得る。そうか、産業革命で市民による土地活用の構造が大きく変化した時代、脆弱だった社会インフラを立て直す機会を災害によって英国人は得たのかもしれない。日本が大津波によって、これからの沿岸部の在り方について深く考え方を改めることになったように。知らないことを考えていると、よくも悪くもイマジネーションは無限に広がっていく。そんなふうに、私が小難しい顔をして、珍しく熱心に想像を膨らませていたときのことであった。
教室で椅子に座ろうとしたら、ある中国から来た女子大生が不安げな表情で、そこにいたイギリス人教師に尋ねた。「バンク・ホリデーのことなのですが…」。「ええ、なんですか」。「バンク・ホリデーというのは、労働者たちがストライキをする日なんだそうですね、なんでも、社会のあらゆる場所がみんな休業してしまうって本当ですか?」。この学生も私と同様、バンク・ホリデーについてよく知らないと見え、イギリス人に直接質問したのだ。ほう、それはとてもよいアイデアだ。傍でいろいろと深い哲学に耽っているような顔をして、実のところ同様にバンク・ホリデーについて、何なのだろう、と思って聞き耳を立てていた私には絶好のタイミングで情報を収集できたのだった。そうか、バンク・ホリデーはストライキの日なのか。
中国人女学生は続けざまに訊く。「聞いたところでは、ストライキでは、イギリス中の住民がみんな全裸になって、市中を大行進するそうじゃないですか。すごいですね!」。もっと高尚なことを考えているような深刻な表情を装って聞いていた私も、その瞬間、目が飛び出た。いくらなんでも、全裸で大行進するような大掛かりなイベントが街中で繰り広げられるとなると、大事である。世界広しといえども、そんなことを国を挙げてやっている場所があるとは。しかもそれがよりによって、私が今、生活している場所だとは……。次の月曜日か。私はそれに巻き込まれてしまうのだろうか。裸になるというのは、本当の全裸のことなのか……。在留外国人は大目に見てもらえるのかどうかなど、あれこれと慌ただしく考えた。私はせっかちだが変に用心深いところがある。
いずれにせよ、とにかく、それは一大事だと思って、あれこれ月曜のために心の準備を、と思っていたところ、イギリス人の先生が笑いながらこう答えた。「私はついぞそんな話は聞いたことがないですよ、だれかが冗談で言ったんでしょうね、バンク・ホリデーというのは国民の休日のことです。ストライキはありませんからご心配なく」。「えー、そうなんですか〜、びっくりしちゃいました〜」と中国の女学生。なんとも平和な会話である。ちょっぴり恥ずかしそうな表情を浮かべながら若いその女子大生は走って自分の席に戻った。その場で唯一重苦しい気持ちでいた私も、心が軽くなったような気がした。いや、でも、大行進の話はこの小欄に書くための格好の題材になる可能性もあった訳で、少々残念な気持ちも交じる。
月曜日が休みだということは、土曜日から数えれば三連休だ。どこかへ旅に出かける人もいるのかもしれない。でも、イギリス人の先生たちは、私たちに、金曜の夕方になって急に、意地悪な顔をして、たっぷりと宿題を与えてくれた。こいつたちを、先になんとかしなくては、明るい気持ちでバンク・ホリデーを過ごすことはできないような気がする。
その後、ずっと気になっていたバンク・ホリデーがいったい何なのかということを調べることにした。土手の記念日について、そして、土手と災害の関係史、しいてはこの国の災害対策の礎となっている概念を調べることは決して無駄ではないと思う。大行進はウソだったとしても、そこにはこの国らしく筋の通ったストーリーがあるのだろう。
『Cambridge Dictionary Online (2013)』という辞書にこんな意味のことが書いてある。「バンク・ホリデーとは銀行や多くの企業が営業しない、公休日のこと」。なるほど。先日開設した銀行口座の手続きを担当してくれた、あの気さくな銀行員さんに、今度、訪れたときにでも聞いてみよう。そのほうがいろいろと正確な情報が得られそうだ。女子大生の噂話も私のイマジネーションもどうやらあまり役に立たない。
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