titleback.png

vol_003_bar.png

P1040706.JPG

自宅の窓からみえる南方の光景。夏にはそびえる山がくっきりとみえるはずだが、すでに煤煙で霞んでいる。

 いよいよ冬。ウランバートルではミラノの雰囲気を楽しめます。

 イタリア文学者、須賀敦子は処女随筆集「ミラノ 霧の風景」の中で、イタリアで見た霧の光景を印象的に描いた。ミラノの人々にとって冬の霧はまるで生活の一部のように空気中を漂う。「年にもよるが、大体は十一月にもなると、あの灰色に濡れた、重たい懐かしい霧がやってきた。朝、目がさめて、戸外の車の音がなんとなく、くぐもって聞こえると、あ、霧かなと思う。それは、雪の日の静けさとも違った。」と須賀は書く。僕はミラノの霧がどんなものなのか知らないけれど、このような文章を読んでいると情緒豊かなぬくもりを思わず心に抱いてしまう。
 僕の生活するウランバートル市も少しずつ寒さが増してきた。ずいぶん前に降った雪がまだ溶けずに残っている。いまでは水たまりは夕刻になると凍結しはじめる。吐く息には分厚い雲のようなふわりとした輪郭が見える。厳しい寒さだとはまだ思わないけれど、僕がこれまでに日本で経験したいつもの10月下旬とは明らかにちがう。
 冬は視界がとても悪くなるよ、と多くのモンゴル人が教えてくれる。その原因はイタリアで見られるような深い霧……ではなく、夥しい煤煙だ。この街には伝統的な家屋である移動式テント『ゲル』が密集する地域が点在していて、そこに暮らす住民は極寒の冬のあいだ暖をとるためにせっせと石炭を炊く。そのスモッグが街中の空を舞うのだ。いや、正確には空だけでなく地上にまで広がり、我々の視界さえ遮ってしまう。僕のカウンターパート(担当者)を引き受けてくれているアリオンボルドさんは言う。「この窓の先を見てごらん。80メートルくらい先に緑色の屋根が見えるでしょう?スモッグが酷いときはあれがすっかり見えなくなるんだよ。臭いもおそろしくきついよ。」

P1040558.JPG

アリオンボルドさんと学生のオランゴーバヤルさん。モンゴル国立近代美術館にて。

 アリオンボルドさんは背が高く体格に恵まれた39歳の男性で、僕が勤める学校のグラフィックデザイン教師の一人である。僕が4月に学校に赴任してからというもの、僕のカウンターパートとして仕事から生活までも彼は見守ってくれている。いま3人の子供たちを含む家族と一緒に学校の職員寮で生活している。いまではウランバートル市民には当たり前のような存在になっている自家用車を所有せず、一方で韓国製の高価なマウンテンバイクを大切にしている。コンピュータやスキャナ、プリンタなどの機器も自宅に揃えている。それらはウランバートルにおいては、まだ恐ろしく高価な品物だ。モンゴルの一般的な教師の給与は日本のように水準が高い訳ではなく、決して裕福な生活ではないはずだが、彼は彼自身の哲学に基づき、行動の優先順位を決めている。少なくとも僕はそう感じる。まだ情報の少ないこの国でいったいどのようにしてそれほどのものを集めたのかと感心するほどの知識を持っていて、大量の論文やデジタル資料をファイルしている。それらを活用しながら行われる毎日の講義は僕にとっても新鮮なものばかりだ。僕は時間があればいつも学生の一人になったような気分で講義に参加している。人望が厚く、卒業した教え子が毎日のように教室にやってくる。ーいつも他人のことを気にかけ、手助けしているような人物ー同僚の教師もこんなふうに彼を評価する。「彼は親切すぎてあきれるくらい。だから彼を嫌う人はいないわね。」
 アメリカの歌手、ジョニー・ナッシュ(Johnny Nash)には『I Can See Clearly Now(アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ)』というヒット曲がある。ちょうどアリオンボルドさんが生まれた1972年に発表されたものだ。「雨がやんで、視界が明るくなったよ(I can see clearly now, the rain is gone)」と歌い、彼はさらに続ける。「いまでは僕の行く手をはばむものがはっきりと見える(I can see all obstacles in my way)」。雨は象徴的なものとして扱われ、それが晴れたいま、向かうべき道が見えてきた「僕」は自身の未来に大きな期待を寄せている。この詩にはそんな希望に溢れた心情が描かれている。そんな解釈も悪くないだろう。
 目の前のものや未来が見えないというのはしばしば恐怖を感じさせる。僕はこの国に到着するまでモンゴルでの生活というものがどんなものなのか、少しも想像することができなかった。けれど今では、彼や、その他にこの国で期せずして出会ったの人々の存在が、視界を覆っていたものを少しずつ払いのけてくれているような気がする。
 これから本格的な冬が到来しスモッグが増えれば、ますます視界が悪くなるそうだ。ミラノの情緒的な霧とウランバートルの厳しいスモッグとを比較するのはちょっとおかしなことかもしれないが、それは意外にも僕の心の中では繫がりを感じる。須賀の語る「霧」もおそらく物質的な事柄だけを述べているのではないと思うからだ。

▼Facebookと連動した掲示板を設置しました。桐山さんへのメッセージよろしくお願いします。

bo_pagetop.pngbo_pagetop.png

vol_021_030.pngvol_021_030.png

vol_011_020.pngvol_011_020.png

vol_010.pngvol_010.png

vol_009.pngvol_009.png

vol_008.pngvol_008.png

vol_007.pngvol_007.png

vol_006.pngvol_006.png

vol_005.pngvol_005.png

vol_004.pngvol_004.png

vol_003.pngvol_003.png

vol_002.pngvol_002.png

001_a.png001_a.png

vol_index.pngvol_index.png

portrait.png

桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


igirisu_barbo.pngigirisu_barbo.png