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798芸術区のエントランス

 中国の芸術区を巡る

  夏休みを利用して北京を訪れた。誰もが知っているとおり、中国は漢字の国だ。どのくらい漢字が使われているかというと、全部が漢字である。街を歩いてみると、(当たり前のことかもしれないが)平仮名やカタカナは使われていないことが分かる。国際化の流れが浸透しつつあるせいか、英語はしばしば目に入ってくる。モンゴルの街はキリル文字がほとんどだが、そのすぐ隣の国にも関わらず中国では全く文字体系が異なっているのは興味深い。頭の中では理解していても、実際に北京の街を散歩してみると漢字の量に圧倒されてしまう。いくつかの漢字は見て意味を理解できるが、いくつかの漢字からはそれを想像することさえできない。僕は日本人だから漢字を日常的に使っている訳だけれど、中国で使われる漢字と日本で使われている漢字はずいぶん違うことに気付く。でも、そんなことは中国を訪れたことのある人なら誰もが体験していることだろう。

  このささやかな北京市への訪問で、中国の漢字によるグラフィックデザインの面白さに接することができた。

  一応のところ、僕はグラフィックデザインに携わる身なので、北京市の街中のデザインやサインが新鮮に眼に飛び込んでくる。地下鉄やバス、交通標識やトイレなど、公共サイン計画は日本のそれとだいたい同じような様子でデザインが施されていた。バス停の表示などは漢字で縦書きしてあるために慣れ親しんだもののようにさえ見える。地下鉄では駅や車内の表示はすべてバイリンガル表示(中国語と英語)で中国語が分からなくても、英語を少し読むことができれば何とか行きたい場所に行ける仕組みになっている。外国人の観光客やビジネスマンも多くて、そうせざるを得ないという雰囲気がそこにはあった。これも日本の状況に近い。もっとも、このとき僕に、中国語の話せる性格の穏やかな日本人の友人K君の親切なガイドがなかったら、それほど安心していられなかったかもしれない。やはり異国である。

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コンテポラリー・アート・センターの紹介ボード

  798芸術区(798 Art Zone)という地域がある。北京市を巡る環状地下鉄の駅『東直門』からバスで20~30分くらいの場所にあって、まだ北京の中心地のような巨大建築の開発はそれほど進んでいないようだった。ガイドをしてくれたK君は(と、このように書くと何やらフランツ・カフカの小説のようだ)、「北京市の発展は驚くくらい急速で、数ヶ月毎に都市の風景が変わっていくくらいなんですよ。この辺りもそのうち景色がガラリと変わるんじゃないですかねえ」と説明してくれた。

  この一帯は、かつて旧共産圏の支援によって設立された工場地帯だったが、近年になって解体され、現在はアートやデザインを振興する特別区として賑わっている。非常にたくさんの画廊やショップ、カフェ、レストランが並び、道端では美大生が自分の作品をシートの上に丁寧に並べて販売している。書店もいくつかあって、古書から新刊本まで幅広く揃っていて、アートやデザインに関するグッズも多い。シルクスクリーンプリントの小洒落たTシャツやけばけばしいイラストが描かれたマグカップなどを売る雑貨店もけっこう繁盛している様子だ。屋外に彫刻家の作品がさりげなく並んでいるのも印象的だ。

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芸術区にはいたるところに作品が展示されている

  僕のモンゴルでの生活は、普段からあまりものを買わない慎ましいものなのだが、このときばかりはせっかくだから何か買っておこうかなという、旅行者特有の気分になった。たいしたお金を持っている訳ではないので、もちろん贅沢はできない。いやそれでも、ここは清水の舞台から飛び降りた気持ちで、何か買うことにしようと決心し、"Facial Makeup in Chinese Opera"と題された中国の伝統劇『京劇』のメイクアップ・イラスト図鑑を店員らしき貧相な男に差し出した。10元だというから120円くらいである。これはなかなかユニークな品物で、パスポートよりも小さなサイズの紙ケースの中に、さらに小さなカードが何枚か入っていてそれぞれにきれいな色で京劇のための化粧の図案が印刷されている。値段がみかけより少し割高な印象を受けたが、その店員らしき貧相な男も僕を外国人だと知って吹っかけてきているのが分かったから、早速、K君を呼んで値段の交渉をしてもらった。8元にしてほしいと(8元は100円くらいだ)。しかし、その貧相な店員は僕の足下を見ながら、断固として値引き交渉に応じなかった。だめだ、こいつは1980年代に発行された値打ちのある品物なんだから。こんなふうに本当かどうかも分からない理由をいろいろ用意して譲る様子を見せない。しかし、それが値打ちのある品物だとして、本当にたったの10元で売ってしまっていいのだろうかという気分にもなる。結局、僕は10元でメイクアップ図鑑を手にした。後になって気付いたのだが、その価格と交渉価格の差額である20円はモンゴルではバスにさえ乗れない額だ。こういった僅かな額の交渉は実際のところとても面白くて、成功したり失敗したりしてコツを身につけていくものなのである。それにしても、モンゴルで生活するようになってお金に対するスケール観がずいぶん小さくなってしまったものだ。

  この芸術区では中国のコンテポラリー・アートや海外の名高いアーティストの作品がいたるところで展示されていた。例えば草間彌生や村上隆といった日本の著名アーティストの版画作品が紹介されているギャラリーもあった。それらに関連する形で、告知ポスターやブックレットなどのデザインを目にすることができた。僕の個人的な印象では、中国の漢字書体やレイアウト技術は非常に洗練されつつあり、全く知らない文字にも関わらず、その美を感じ取ることができる。英語やフランス語との混植もしばしば見られるが、これらも多くがその効果的表現によってその質を維持している。

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京劇のメイクアップ図鑑に入っていたカード

  10年近くまえに、ある日本の著名なデザイナーが中国のグラフィックデザインは日本に20年遅れをとっていると述べているのを聞いたことがあり、僕は半ばそれを鵜呑みにしていた。しかし、もはやそのようなものは感じられない。今後、中国の経済発展に伴って漢字が国際言語に躍り出ることになるかどうかは僕には分からないが、それらが非常に美しく、文字としての重要度がこれまでよりも高まるのではないかと思う。少なくとも僕にとっては、文字デザインにおける漢字のユニークさを今後見過ごしてしまうのは非常にもったいないことである。もちろん、街角には著作権を無視したようなものや、おぞましいデザインの看板なども乱立しているのは事実だ。けれども、それとは別に、現在の中国の潮流がこの150年ほどの間に欧米を中心にして培われてきたモダンザインのコンセプトを更新したり転換したりする契機の一つなのだとしたらそれも面白いと僕は思っている。そういった底知れぬ威勢のようなものを中国は内に潜めている気がする。

▼今回は中国からの通信!「漢字によるグラフィックデザインの面白さ」には共感するところですね。図像の背景に物語性があり、長い時間をかけてデザインされたもの。勝手ながら私は漢字圏に生まれたことを心から嬉しく思ってます。では、楽しい夏休みを☆

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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