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辞書の表紙。中央の‘СЛОВАРЬ’はロシア語で辞書の意味。‘スラワル’という読む。

 本を買う

  先日、ある会議に参加するためにNGOを訪れた日のことだ。僕とのやりとりを担当してくれているAさんから、バスの都合で30分ほど遅刻してしまうというショート・メッセージが携帯電話に送られてきた。大変申し訳ないです、という内容だった。Aさんがいなければ会議も始められないので、僕は暇つぶしがてらNGOの近隣に並ぶ古書店街に立ち寄った。『書籍販売センター』という名のその一角には、いくつかの古書店が並んでいる。けっこういろんな本が並んでいて、辞書や参考書の類いからモンゴルの小説まで様々なものが揃っている。歴史書や専門書などもあるようだ。外国人が売却していったと思われる、薄汚れた英字のペーパーバックスや子ども用の絵本もある。自動車免許講習用の教科書もあった。ロシア語で書かれた教養書も多い。この国の歴史の一端を見るような気になる。他にもいろいろな本があるが、ぱらぱらと中身を見ても何が書いてあるのか、ちょっと僕には分からない。そういえば、今思い返してみると、成人向け書籍は皆無である。雑誌もあまり見かけない。大通りにある売店には売られていることがあるので、この『書籍販売センター』では意識的に排除されているのかもしれない。

  古書の香りというのは独特なもので、日本にいてもモンゴルにいても古書店では古書店の匂いがする。紙の匂いなのだろうか。日本の古くからある古書店なら、入り口でガラスの引き戸を開けると、奥につながる薄暗い店内がふっと眼前に現れて、左右の背の高い書棚だけでなく、床にも本が高く積まれているのが目にとまる。客は、書籍の題名を黙々と眺める。店の主人は奥に腰掛けていて、静かに本を読んでいる。客に挨拶をするようなことは稀だ。BGMも流れていない。これは僕の個人的な考えなのだが、古書店に入る客は何か強い目的があってそこに入るのではない。ふらっと入る。もし気になる本があって、値段が適正であれば買い求める。本との偶然の出会いをささやかに期待してそこに入っていくのだ。だから、いちいち接客されないほうが嬉しい。

  そんな日本の古書店を想像してモンゴルの古書店に入ると大変なことになる。店内が薄暗いのは同じだが、店に一歩足を踏み入れた瞬間に、店員らしき元気のいいおばさんたちが、「どんな本を探しに来たんだい?」と大声で尋ねてくる。主人に忠実な番犬が見知らぬ客に吠えかかるような殺気があって恐怖さえ覚える。そんな調子で何人もの店員が入れかわり立ちかわり尋ねてくるので、うんざりしてしまう。一見親切そうに見えて、親切でない店員もいる。にこにこしながら近づいてきたくせに「こんな本はありますか」と本の内容を説明すると、「ないね」と間髪入れずに突き放すような返答。彼女はもう既に別の客の方に気持ちが移っている。僕が必死になってモンゴル語で、デザイン専門書について説明をすると、「あんた、そんな本はないよ」とビシッと言われる。なんだか叱られているような気になる。すみませんでした、と心の中でつぶやく。

  少し興味を覚えた本を手に取ることがある。そんなことをしてしまうと、その一秒後には、店員に「あんた、それ買うんだね。え?」。もう買ったことになっているらしい。いいえ、違います!買いません、と即答するのも妙である。興味を覚えて手に取っているのだから。でも、手に取ったからと言って、必ず買う訳でもないのだから、少し考える時間が欲しい。彼女らは僕に考える時間を与えてはくれない。

  気を取り直して、今度は辞書が売られている場所へ向かった。ロシア語の辞書が必要だったことを思い出したのだ。日本で英語が外来語としてたくさん利用されているのと同様に、モンゴルではロシア語が外来語として日常的に使われている。「アート」や「デザイン」の用語ともなると、ロシア語が頻繁にでてくるのだ。でもロシア語はモンゴル語の辞書に出ていない。学校で美術やデザインを教えている立場柄、別にロシア語の辞書が必要なのである。

  書棚の最上段で『ロシア語・英語、英語・ロシア語辞書』という名の書籍がふと目に止まった。それはちょうどいい大きさであった。頻繁に持ち運ぶにはうってつけだ。それに、どちらの言語からも引くことができる優れものである。これを買えば、どんなに便利だろう……、などと頭の中で想像を巡らせながら怪しげな表情を浮かべていると、それを遮る声が突然僕を襲いかかった。「あんた、それ買うんだね?」。

  まだ値段を知らないので、即断する訳にはいかない。店員に値段を尋ねると25,000トゥグリグだという。彼女はもうすでにお釣を出す準備態勢に入っている。油断ならない。少し高い気もするし、十分な持ち合わせもない。「ちょっと高いですね。もう少し安いのかと思っていました」と素直に言うと、「じゃあ、いくらなら買うんだい?」と質問が。どうせ値下げしてくれるにしても僅かだろうと思ったので、思い切って「15,000トゥグリグですね」と答えてみた。それだけの金額しか持っていなかったのだ。

  すると、店員は一瞬考えたあと、「仕方ないわねえ、じゃあ、15,000トゥグリグで手を打とうじゃないか」。何が「仕方なかった」のかは不明だが、たった一言で40パーセントの値引きとなった。恐ろしいことである。いや、僕にとっては、幸運この上ないことには違いないが、やはり気持ち悪い。それに、もっと低い値段を言っていれば……、という浅ましい感情が僕の心の中を駆け巡った。

  何はともあれ、ここまで話が進んでしまうと、僕も後には引けないし、実際にその辞書は買う価値があると思っていたものだから、結局、購入することになった。それにしても、いったいこの本屋の値段の考え方はどうなっているのだろうかと心配になる。僕が外国人だと知っていて、始めに高めの値段を言ったのかもしれないが、そんな簡単に値下げしてしまうのは不自然だ。他のマーケットを訪れても同じなのだが、そのときの雰囲気で値段が大きく変動するのには困惑させられる。面白いといえば面白いのだが。

  僕はそれなりに満足した表情で、そのロシア語の辞書を片手にNGOに向かうことにした。約束の時間がずいぶん迫っていた。

▼最近はネットに頼りっきりで、古本屋へ足を運ぶことがめっきり減りました。便利さにかまけると、運命的な本との出会いもなくなってしまう気がします。そうだ 古本屋、行こう。今回の通信をきっかけに、また「古本熱」が復活しそうです!駄菓子屋のおばちゃんのような店員(私の勝手なイメージですが、)のいる古本屋はちょっと勘弁ですが…

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。03年に東京学芸大学卒業。会社勤務を経て2011年3月より国際協力機構(JICA)の青年海外協力隊プログラムでモンゴルのウランバートルにグラフィックデザイン教員として派遣されている。期間は2年間。
なお、表題の“МОНГОЛ”は「モンゴル」と読む。モンゴルではこのキリル文字が公用文字。


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