2022年アーカイブ

「こんなひどい目にあわされて、きみたち日本人は、アメリカに腹が立たないのか」

これは、キューバ革命のわずか半年後の1959年7月に広島を訪れ、原爆資料館を見たキューバの革命家ゲバラが発した言葉です。

今年も8月6日、9日、そして15日を迎えました。例年になく、マスコミは戦争のことを取り上げていたように思います。やはり、ロシアとウクライナの戦争のことがあってのことだと思います。

あの8月6日に、広島で建物疎開(密集している建物を取り壊し、火災が広がるのを防ぐ作業)に動員された中学生8千人の運命をNHKスペシャルで取り上げていました(原爆が奪った"未来" ~中学生8千人・生と死の記録~ - NHKスペシャル - NHK)。陸軍の強い要請で動員され、8千人のうち、6千人が亡くなったそうです。「ここに手があって、ここに顔があったの」と、亡くなった妹さんの小さな制服の袖口と襟を指して泣く高齢の女性の姿には、心を強く動かされました。
8月15日の深夜のラジオでは(NHKラジオ深夜便、厳密には16日ラジオ深夜便 - NHK)、対馬丸事件のことを取り上げていました。これは、沖縄から長崎へ向かう学童疎開船対馬丸が、アメリカの潜水艦によって撃沈されたもので、779人の子どもが亡くなりました。攻撃されたのは夜で、台風も迫っている中の航海だったそうで、真っ暗で暴風雨が吹き荒れる中、子どもたちは、さぞかし怖い思いをして死んでいったんだろうと思うと、胸が塞がります。また、戦争と子どもということでは、先般亡くなった写真家の田沼武能さんの衝撃的な経験――東京大空襲の次の日に、防火用水の中で真っ黒になって立ったまま死んでいる子どもを見たという話なども、また、思い起こされます。

こうした話を見たり聞いたりすると、先のゲバラの言葉が浮かんできます。が、しかし、われわれは、広島の原爆死没者慰霊碑に「安らかに眠ってください 過ちは繰り返しませぬから」と刻んだのでした。
この碑文については、被害者である日本が「過ち」を犯したかのようで、おかしいのではないかという意見もあるようです。が、そうした見方にたいして、広島市は、HPで次のように言います。

「碑文の趣旨は、原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。碑が完成した昭和27年(1952年)から今日まで、碑文は被爆者や広島市民だけではなく核兵器廃絶と世界平和実現を求める全世界の人々にとって祈りと誓いの原点であり続けています。
今日では、碑文に対する疑問の声はほとんど聞かれず、本市としては碑文の修正は全く考えておりません。」(https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/kaitou/8239.html)。
まことに立派な考え、毅然たる態度で、感動をおぼえます。

敗戦を"終戦"としたことや、終戦後に定められた日本国憲法にも同様の精神を感じます。そうしたわれわれの日本、唯一の被爆国日本。
人類の危機をまねいている核兵器の廃絶や、全世界的に早急な対応を迫られているロシアとウクライナの戦争に対して、せめてもう少し、存在感のある態度・行動をとることができないものかと強く思います。

先端教育人材育成推進機構のオープニングイベント「近未来の学校・教師・子ども・地域と、大学の役割を考える」

もはや本学のウェブサイトにアップしてあることですが(2022-07-22 News)、7月15日(金)に、先端教育人材育成推進機構のオープニングイベントとして、パネルディスカッションを行いました。パネリストは、白井俊氏(文部科学省国際統括官付国際戦略企画官)、李炯植氏(認定NPO法人Learning for All 代表理事)、堀田龍也氏(東北大学大学院教授/東京学芸大学大学院教授)の御三方です。諸外国のカリキュラムに日本で一番詳しいとも言われる白井氏、学長室だよりでも取り上げた(2021-05-20 学長室だより)英気溢れる新鋭の教育支援事業者の李さん、そして、文科省の審議会や種々の委員会の主要メンバーであり、クロスアポイントメント制度により本学の教員でもある堀田氏によるパネルデディスカッションですので、有意義なものになることが大いに期待されましたが、実際は期待を上回るものとなりました。そこで、先端教育人材育成推進機構の事業を担当し、パネルディスカッションのコーディネータを務めた鈴木聡副学長に、概要及び感想などを書いてもらうことにしました。

――――――――――(以下、鈴木聡副学長)――――――――――――――――
パネルディスカッションでは、3名の登壇者より提言いただいた後、意見交換を行いました。まず、「教育に関連する機関や人材の連携」が話題になりました。教師の役割や学校への要求は増え続けています。白井氏は、李氏、堀田氏の提言を受け、子どもたちや学校の個々のニーズや機会に合った支援をマッチングし、連係していく上でテクノロジーの活用の可能性を提案しました。李氏は、世界的に見ても人材の連携は悩みどころであるとし、多くの学校との連携を積み上げてきた経験から、「学校と信頼関係を築ける鍵となるのは、子どもたちの目が変わったときだ」と言います。学校を支援する外部人材育成の視点からは、研修等で学校のシステムや児童理解の仕方等をしっかり理解させることが大切である一方、集団指導することと特性のある子どもに向き合うこととでは、別のスキルが必要だとします。そして、特性のある子どもへの対応は、学校だけでなく医療、福祉等のいろいろな場所や人との連携の上で成り立つものなので、そうした視点を養成段階からもつことで、教員なら教員の守備範囲を適度に保つことも可能になるのでないかと示唆しました。こうした発言を受けつつ、堀田氏は今こそ「学校の限界を宣言するタイミングだ」とし、「学校はここまでしかできない、だからこういう支援が欲しい、そのために資金が必要だ」と、胸を張って言える社会や環境を作ることが大切だと指摘しました。白井氏は、水曜日は午前中で授業が終わり、午後は民間のクラブアクティビティなどで活動しているフランスの学校の事例を紹介し、学校の守備範囲を狭くすることでフリースクールなどの民間が入る余地が生まれることを示しました。

後半は、「様々な形で教育に貢献する人材を育てる重要性」が議論されました。教員養成大学においても、教育支援者養成という発想の中で教師も育て、支援者も育てるという考え方をしていく時代だと堀田氏が述べると、白井氏は、世界的には、ティーチャーではなくエデュケーターと呼ぶ流れがあり、その中で、広い意味でのエデュケーターを養成していくのが現代の教員養成系大学の使命ではないかと応じました。李氏は、人材の流動性を高めることが重要であることを指摘し、支援者の中には学校の教師であった人も存在し、また、逆に支援者としての経験を積んで教壇に立つ人もいることを紹介しました。こうした人材の交流により、より円滑な連携が可能となることは容易に想定されます。

パネルディスカッションを通して、いろいろな人材が英知を結集させ、「子どもたちの学びや育ちを応援しよう」という仕組みをつくることが、近未来の教育には求められていくと感じられました。そして、本学はエデュケーターを育成する総合大学として進んでいくべきだし、そうありたいと強く思いました。今、スタートを切る先端教育人材育成推進機構、そして教員養成フラッグシップ大学事業の根幹になる多くの視点をいただきました。幅広いネットワークを築き、エデュケーター全体が発展していくことで学校の質、子どもたちが受ける教育の質が向上することを信じて進んでいこうと思います。登壇者の皆様に心より御礼申し上げます。
――――――――――(以上、鈴木聡副学長)――――――――――――――――

以上のように、パネルディスカッションでは今後の学校、教育、教員養成にとってきわめて示唆に富むお話を聞くことができ、エデュケーターという今後の本学にとって重要と思われるキー・コンセプトも知ることができました。先端教育人材育成推進機構は、本学の第4期の取り組みの中心となる組織であり、また、教員養成フラッグシップ大学事業のエンジンともなる組織です。今回のパネルディスカッションを弾みとして、事業を進めていきたいと思います。どうぞご期待ください。