森山進一郎 先生
Vol.3
芸術・スポーツ科学系 健康・スポーツ科学講座 運動学分野

学芸大学にいらっしゃって、印象深かったことはありますか?

 広くて緑豊かで癒されるというのが第一印象です。学生は "まじめ"ですよね、みんな。授業を聞く姿勢が真剣だなと、よく感じることがあります。

 大学院生時代は自分のことだけをやっていましたが、昨年からまたお世話になってこれから何十年もと考えると、色んなことを良くしていこうと思いました。当時より施設全体は古くなっていますが、少しでも気持ちよく居られる空間にしたいと思い、来て最初にやったのはひたすら掃除ですね。例えば、プールの入口前にガラスが落ちていたのを、土を一所懸命掘り起こして片付けました。その時に色んな人たちが手伝ってくれたことが、印象深かったですね。声をかけてくれて、一緒に頑張ってくれる方々がいっぱい居るということに、心通い合う温かさを感じました。

 ゼミ生たちもそうで、鹿児島に行くと言えば付いて来てくれるし、これをやると言えば一緒に頑張ってくれる。一緒に頑張ってくれる仲間っていうのは宝ですよね

先生の学生時代について教えてください。

 一言でいうと「飢え続けていた」、要は常に何かを求めていて、"学ぶこと"と"水泳"に関しては、自分でもよくやっていたと思います。自分ほどに努力していない人間のことは認めないところがあったので、部活の中で孤立したこともありました。その頃は自分が正しいとしか思っていなかったです。その経験があるから後ろに下がって全体を見られるようにもなったけれど、そういう失敗をするくらいに突っ走ってみないと何も得られないかな、と今は思っています。

 水泳の目標が、大学最後の全日本のインカレに出ることで、それに向け努力して、でも2/100秒届かなくて終わりました。でも、全力でやり切った結果が届かなかったっていう経験はよかったと思います。そこでタイムが切れてしまっていたら、人は頑張れば何でもできるとしか思わなくて、そこに辿り着けない人間を理解できなかったんじゃないかな。いっぱい挫折してきて、その時は絶望感に浸る訳ですけど、その絶望感があったから今がある、その積み重ねでしたね。

 あと没頭していたもう一つがピアノ。水泳の練習くらいにやっていた時期もありましたけど、向上心とかそんな格好いいものではなくて、こうしたいと思ったら何としてでもやる、ようなところはありましたね。

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大学教員になった経緯を教えてください。

 小学生の時は小学校の先生になりたくて、中学生の時は中学校の先生になりたくて、高校に行けば高校の先生、大学に行けば大学の先生になりたいって(笑)。勉強していく中で、高校までの指導では、自分の知識を教え子にすべて出し切れないと感じました。発育発達段階に応じた次につながるコーチングを色々考えないといけないのがストレスだなと。それを気にせず何でもやれる部分が、大学の一番良かったところですね。

 あと、学芸の学部に入れなかったことが、自分のすべての原点だと思います。一番が好きだったので、教員になりたくて一番はどこかを調べてここを知って、もう憧れ。それで入れなかったので、学生の時は常に劣等感を持ちながら、泳いだり勉強したりしていました。やっぱりなんとかして学芸大に近づきたくて大学院に。だから逆に、学部にストレートで入っていたら、今頃どこかで学校の先生をやっているんじゃないかな。

 学芸の大学院を修了した後、前任の日本女子体育大学に14年間お世話になりました。その頃、博士の学位を持っていないで教員をやっているということにまた劣等感みたいなものを感じるようになって。今やっていることを研究につなげやすいということで、鹿屋体育大学の博士課程へ。鹿屋は、国立スポーツ科学センターという、オリンピック選手が集うような研究・トレーニング施設と連携していて、そこにいる先生方から学べたのもラッキーでした。

先生の研究内容について教えてください。

 前任ではコーチというのが一番重きのある仕事だったので、選手を対象にした研究が多かったです。その後の、鹿屋での指導教官との出会いは運命だったかな。バリバリの研究者で、その先生から自然科学的な研究を学んで、研究の手法もちょっと変わりました。

今後は、この5,6年研究していた"体幹"の役割も含め、泳ぐときの姿勢、学校体育に活かせる"初心者指導"的な部分の研究もしたいと思っています。最終的には、夏しか授業がない中でも、水泳を楽しめる子が増えたら嬉しいかな。そのためには、達成感を得るとか、ポジティブな気持ちになれる経験を増やしたいと思っています。

 "初心者指導"って実は選手の指導にも繋がって。センスあるが故に飛び越えてしまった細かいステップを、レベルの高い所でつまずいた時、踏み直すことは必要だと思うんですよ。そういう観点で行くと、共通する部分っていっぱいあるんじゃないかなっていうのが自分の考えです。

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研究以外でやりたいことは?

 研究者としての立場を離れてっていうのは、難しいな。自分にとってはこれが好きだから。ただ自分の子どもたちに対して凄いだろって言えるようなパパでありたい、っていうのはありますけど、それも具体的に言えば、「パパ博士になったんだよ、凄いでしょ。」の一言のために頑張った、みたいに結局繋がっちゃいます。

 あとは旅行ですかね。異文化交流がすごく楽しくて、仕事も利用してもっと色んな人たちとコミュニケーションを取ったり色々知りたいなって。ファミリーでもグアム、シンガポールに行ったので、来年行けたらオーストラリアとか、アメリカの知人の家にもみんなで行きたいですね。色んなところに行って、色んな"本物"を子どもたちに見せてあげたいです。

今後の目標を教えてください

 今の目標は、水泳のしかも指導に関するところで"東京学芸大学"の城を築きたい、っていうことがあります。指導や教育というところで、この大学はトップであるべきだと思っているので、指導者養成の拠点が出来上がるような取り組みをしたいですよね。あとは室内プールの建設(笑)?でも、それも今言ったことができて、学外の方々ともチームを組んで力を合わせられれば、いくらでも可能性はあると思っています。

 自分の中のキーワードは「世のため、人のため、未来を生きる子どものため」、そういう広がりの発展に貢献できるような...って格好いい言葉を使いながら自分がやりたいことをやっているだけなんですけどね。

学芸大生にメッセージをお願いします。

 皆さん凄く"いい子"で、きれいにまとまっている感じ。だから、「今の自分には無理だなって思っても、非現実と思えるような夢を語って、馬鹿になって取り組もう。」そんな感じですね。

取材/丹野里沙子、虫谷涼香、乘松まりな

森山進一郎 先生

Profile

森山進一郎 先生

1978年生まれ、鹿児島生まれ、東京・茨城育ち。牛久栄進高等学校、文教大学、東京学芸大学大学院で学んだ後、日本女子体育大学にて14年間、教員・水泳部コーチとして学生指導に携わる。2016年4月より東京学芸大学へ。現在は、「泳げない人をなくす」ことと、もっと「上手に」、「楽しく」、「楽に」、「速く」泳げるようになる方法を見つけるために、プールと研究室で日々奮闘中。