阿部始子 先生
Vol.10
外国語・外国文化研究講座 英語科教育学分野

先生のご専門について教えて下さい

 私は小学校英語教育が専門です。小学校英語教育の指導法、つまりどうやって教えるか(How to teach)はもちろん中心となりますが、何を教える(べき)か(What to teach)も扱います。この「何を」の中心に国際理解教育を置いています。世界の子どもたちや世界の文化を英語の授業の中でコンテンツとして教えていくことで、ただ外国語を学ぶだけではなく、地球市民として責任を感じられる、そういう子どもたちを外国語教育を通して育てていきたいのです。たとえば「世界の出来事」といったテーマについて、社会科でも学びますが、外国語の授業でも取り上げることがあります。世界で起きた出来事を知って、自分で外に向けて何か発信したいと思った時に、ツールとして外国語を役立ててほしい。そこが社会科の国際理解教育と違う、外国語教育の中で扱う意義かなと思います。

ただ言語を学ぶのではなくて、地球市民として意識を持ってもらうための教育でもあるということですか?

 そうですね。そういう方が外国語教育の目的としてとてもしっくりくると思います。外国語を使うことで世界の人とつながって「コミュニケーションが楽しい!」と思えることも大切ですが、「この地域の人はこうだ」と決めつけたりしない広い心をもって様々な人と関わってほしいと思います。その上で日本が責任をもってやらなければならないことはないのかなと考えたりできたらいいですよね。

このような英語教育をしたいと思ったきっかけなどはありますか?

 中高の時から海外へ行きたいという憧れみたいなものがあって、NHKラジオの英語講座を10年くらい聞いたりして、最初は中高の英語教師になりました。その後留学をしたのですが、留学先のニューヨークで9.11(アメリカ同時多発テロ事件)が起きたんです。それが国際理解教育に興味を持った非常に大きなきっかけでした。人間の戦わずにはいられない一面、それが非常に危険なかたちで集団として動くと、戦争になる。それを9.11で目の当たりにしたんです。それから私は英語教師だけど何をやっているんだろう?と思ったんです。帰国して「留学先はどこでしたか?」ときかれた時、「ニューヨークでした。9.11が起きました」という話をすると相手の方が「覚えてますよ!映画みたいでした」と。日本ではテレビで見ていたからですよね。「いや、それは映画ではなかったんです!」という話を私はする訳ですが、自分がその場にいなかったら、同じようなことを思うかもしれない。でも自分は映画ではないということを知ってしまった。それを目撃した人間としてしなければいけないことがあるのではないか、と。留学前は「みんなが楽しい英語」を目指していたんですよ。帰国後はそういう意味ではシフトしました。言語教育の楽しさだけではない部分もしっかりと教えていくということは英語教師の責任ではないかと思うようになりました。

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お話を伺うと、先生は外国と日本を繋げていくために大切なものを伝えていきたいというスタンスをお持ちのように感じました。

 小学校外国語教育の学習内容に児童の思考をより促すような内容を入れられないかと考えています。挨拶ができる、買い物ができる、自己紹介ができるというのが中身になってしまっている現状があるけれど、それだけでいいのかな、ということは思います。それも大事で基本的なスキルではあるけれど、もっと子どもたちの目を世界や未来へと向けるような学習内容があってほしいと思います。

以前は中高で英語教育をされていたということですが、現在小学校の英語教育に移られた理由は何ですか?

 アメリカに留学していた時に出会った先生のお陰で幼児教育も勉強しました。アメリカでの幼児教育は小学校3年生までのことを言うのですが、その年齢層の言語習得について学び、それがおもしろいと感じて小学校で教えてみたいと思ったのが理由の一つです。また、日本に帰国した時に小学校英語のニーズが高まっていて、でも教員研修も教材もない、これからどうなるんだろうっていう状況だったので、小学校英語に関わるようになりました。

今でも小学校英語を教えることが出来る教師は少ないのでしょうか?

 教員養成や教員研修が出来る人というのは中高の英語教育に比べたら限られていますね。小学校の先生の免許は大学で専門的に英語をやらなくても取得できたことも背景にあります。だから「小学校で英語をやるなんて...」と戸惑う先生方が沢山いらっしゃる訳です。でも、やっと検定教科書もでるし、英語がまだ教科化されていない小学3、4年生にも教材が提供される時代になりました。教員養成も変わってきていて、来年度から小学校教員養成課程で英語科指導法が必修化されます。そういう授業を履修した先生がどんどん育っていけば、教育研修もさらに充実していくと思います。

子どもたちの意識を言語だけではなく国際理解についても向ける小学校英語の授業とはどのようなものでしょうか?

コンテンツをどう扱うかですね。例えば『What time do you get up?(何時に起きる?)』というユニットがあって「What time do you get up?」「I get up at six.」というような会話を子どもたちとするのですが、その中でいろいろな国の子どもが同じように自分の一日を話すのを見せます。例えばインドネシアのある女の子の一日(参考資料『インドネシアの小学生』2011 学研教育出版)を取り上げて、こんな風に授業を進めます。
"What time do you get up? "(何時に起きますか?)
"I get up at 5:00. "(5時に起きます)
「何でそんなに早く起きるの?」という話になります。 兄弟の朝ごはんや自分のお弁当をつくるからなんですね。
"What time do you go home? "(何時に家に帰りますか?)
"I go home at 12:20. "(12:20に家に帰ります)
午後に授業がないので家に帰る。「どうして?」という話になるでしょう?給食を学校で食べないんですね。近くのおじいちゃんの家で食べます。その後は塾に行きます。
"What time do you go to juku(塾)? "(何時に塾に行きますか?)
"I go to juku at 3:00." (3時に塾に行きます)
塾が終わって家に帰って来たら、その子は家業であるお菓子屋さんの袋詰めを手伝うのです。両親をとても尊敬しているので、家の手伝いを積極的にします。
"What time do you have dinner? "(何時に夕食を食べますか?)
"I have dinner at 8:00."(8時に夕食を食べます)
家族揃ってご飯を食べている写真を見せます。
"What time do you go to bed? "(何時に寝ますか?)
"I go to bed at 9:30. "(9時30分に寝ます)
朝5時に起きるために夜9時30分には寝ているんですよね。
同じ表現を使っているけれど、そのなかに違う国の同世代の子どもたちのコンテンツを入れることによって、同じ表現を通して、異文化についても学べる、そういう授業をします。

あとは『My Summer Vacation(私の夏休み)』という単元があります。
"What did you do during the summer vacation? "(夏休みに何をしましたか?)
"I went to the sea."(海に行きました)
"I enjoyed swimming. "(泳ぐのを楽しみました)
"I ate ice cream. I ate watermelon. "(アイスクリームを食べました。すいかを食べました)
というような会話がでてきます。ではロシアのある男の子の夏休み(参考資料 安井草平(2016)『ロシア セミョーン 北の国の夏休み』偕成社)はどうか?と見てみると
"I went to the sea. "
"I enjoyed swimming."
"I ate ice cream. I ate watermelon. "
ロシアの子も夏休みに日本の子と同じようなことをするんですよ。だけどちょっと違うこともあります。
"I went to our dacha." (僕はダーチャに行きました)
"I went mushrooming."(僕はキノコ狩りに行きました)
dachaというのは別荘のことです。一般的な家庭でも長期の休みを過ごすための別荘を持っているそうなんです。そして夏休みにキノコ狩りに行くんです。それだけ気候が違うということなんですね。大切なことは、共通点にも相違点にも気づくこと。遠い国に住んでいるあの子なんだけれど、同じようなことをしている!と子どもたちが思えたら、その子と話してみたいと思うかもしれませんよね。そして、相違点に気づくことで自分の文化を見つめ直すことになります。異なる文化を知るということはウィンドウ(窓)でもありミラー(鏡)でもあると言われています。ウィンドウを開き自分の視野を広げるだけではなく、ミラーに映る自分や自文化を見つめ直すということ。それが大切かなと。こんな風に、子どもたちが身につける言語の柱は崩さずにコンテンツのなかに異文化を入れていく、という授業展開になるようにしています。この他にも、『Water(限りある資源である水・水くみをする子どもたち)』『Where are the foods from?(食料自給率・食品ロス)』といったテーマをとりあげることもあります。

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この教材はA類美術の卒業生 松居碧さんが作成したものです。

学生時代はどのような学生でしたか?

 中高はバレーボール少女でした。中高でも海外へ行きたいと思ってはいましたが、そこまで裕福ではなかったのでそういうチャンスはなく、大学に進学しました。実は大学に進学した時は新聞記者になりたかったんです。でも中学生の家庭教師をした時に教育という世界に惹かれました。教えるっておもしろいと思って。それと国際交流サークルに入っていたので大学時代はいろいろな国に行っていました。おかげで結構いろいろなトラブルに巻き込まれてきました。台湾に着いたその日に交通事故に遭ったり、海外へ行くのにパスポートを忘れたりとか...。だから少々のことでは動じない自信があります(笑)。

学芸大生の印象を教えてください。

 とてもいい子たちです。なぜ私がこの大学に来たかというと、先生を育てたかったからなんですね。私は別の大学でいわゆる一般教養としての英語を教えることもあったのですが、先生を志している皆さんと話していると、通じるものが深いというか、皆さんが私の話を深く受け止めてくださることが多くて、すごく感動します。だから、私は学芸大生が大好きです。教育に対する情熱を持っているなあと感じます。みなさんの教えることが楽しいという姿勢や、何かを伝えたいという想いを感じることで、私もがんばろうと思えます。

先生のご趣味は何ですか?

 英語の授業で歌を歌わなきゃいけない場面があるんですよ。だからあまり大きな声で言えないのですが...ゴスペルを習っています。歌のレッスンも受けているのですが、一向に上手くなりません。これも授業のためというか自分が英語を教えるときに役に立つと思って習っているのですが、コンサートの衣装がすごくて「金のドレス」とか着なきゃいけないんです。自分でもすごく恥ずかしいとは思っていますけど(笑)。

最後に学芸大生に一言お願いします。

 一緒に勉強できて嬉しいです、というのがまず一つ。それから、教師は素晴らしい仕事だということを伝えたいですね。5年後10年後の子どもたちがどう成長していくか、わくわくしながらその成長を共有できる素敵な仕事です。ですが様々な社会状況もあるので、辛いことがあったら一人で抱えないで、助けが欲しければ「助けて!」って叫んでもいいんだよ、と伝えています。教師はクラスを担当すると孤独になりがちです。一人で悶々とすることがないように、助けが必要な時は遠慮なく他の人に助けを求めて、これから漕ぎ出していく大海原でたくましく、しなやかに生きていってほしいなと思います。

取材/今野由唯、渡部光

阿部始子 先生

Profile

阿部始子 先生

東京都出身。大学卒業後、中学・高校の英語教師になったが、もっと専門的に学びたいと思い、ニューヨークに留学。TESOL(Teaching English to Speakers of Other Languages)と幼児教育(バイリンガルの言語発達)を専攻。留学中に9・11テロ事件に遭遇し、英語教師として自分に何ができるのか、疑問を持つ。帰国後、福岡市で小学校英語の教員研修に携わる。結婚・出産を経て、夫の転勤により山梨へ。2015年度より現職。長年の夢だった教員養成に関われるようになった。現在、小学校英語教育に国際理解教育の内容を取り入れながら「地球市民を育てる外国語教育」の在り方を模索中。山梨県にある南アルプス子どもの村小学校でも週1回英語や国際理解の授業を担当している。NHKテレビ「基礎英語ゼロ」テキスト執筆。