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カンファレンスのパンフレット

社会とデザインの関わりについて

  情報デザインに関するカンファレンスが、先日、ロンドンで開催された。二日がかりの大規模なイベントで、内容も多岐に渡っていた。ウェイファインディングに関するものから医療に関するもの、アーティスティックなデータ・ビジュアライゼーションまで、情報デザインの幅広い応用例が紹介され、参加者にとっては、その分野の今後の可能性を体感できるよい機会になったはずだ。一連のスピーチは私のような語学力にやや問題を抱えるような人間にとっても多いに刺激的なものであった。世界中からスピーカーが集まり、様々な視点、理論、実践について話題を提供していた。そこに日本人のスピーカーがいなかったことには、あとになって気がついた。

  そのカンファレンスの中に、レディング大学教授で情報デザインの専門家でもあるアリソン・ブラック氏のスピーチがあり、私はそのトピックにふと関心を持った。彼女のテーマは「認知症介護を行う人々に向けた手引書のデザインの改善」というものであり、医療機関のグループとともに進めてきた研究および制作物に関する発表がなされた。情報は十分に提供されているものの、それが正しく活用されていないこの分野の問題に関する研究で、それは構造的なデザイン・システムの不在が原因であるとし、グラフィックの改善を試みるというものであった。多くの人にとって魅力的な話題であったとは言えないのかもしれない。認知症……。おそらく誰もが目を反らしたくなるテーマである。ブラック氏も、後に個人的に話をさせていただいた際に、そのことに理解を示していた。そんな話題に私が関心を持ったのは、ずっと以前から叫ばれ続けている日本の状況が影響を与えたからなのかもしれない。ずいぶん前から、日本では高齢化社会に伴い、認知症にかかわる問題が大きく扱われている。それは英国でも同様でですよとブラック氏は話す。生活環境や栄養状態のよい国の大きな傾向なのだろうか。長生きをする人が増えれば、自ずと体調を崩す高齢者の数も増える。しかし恥ずかしいことに、私は長寿大国の日本で育ちながら、そうした分野のデザインに関し、これまでまるで無頓着であった。そうした問題に対してどのようなアプローチが行われているのかさえ知らなかった。そして皮肉にも、外国の地で、そうした研究の存在を知ることになった。

  私の祖母は約4年前に他界した。晩年はやはり認知症を患い、それが原因で足に怪我を負った。さらに、その怪我が原因で肢体が不自由となり、ほとんど24時間の介護が必要となってしまったのだった。この時期が、私の母の長年勤めた職場の退職の時期に重なり、自営業の父と退職した母が時間を捻出して、祖母の介護を自宅でスタートさせた。自宅で介護するというケースはあまり一般的なことではないのかもしれない。経済的な理由で余儀なく自宅介護を行い、回復の見込みのない絶望的な現実から、悲劇的な事件へと発展したニュースを私たちは日常的に目にするが、そうした状況は、大多数の話ではないと思う。ブラック氏によれば、英国でも、老人施設に介護を任せる人が増えているという。日本でもほとんど同様の状況であるといえよう。

  母はしばしばこのように言っていた。「生前に家族や近親者が精一杯の協力をせずに、放置していたとしたら、盛大なお葬式を挙げたとしても、その亡くなった方は幸せなのかしら。」 当然のことながら誰もが十分に介護をできる境遇にある訳ではない。介護を真正面から行おうとすれば、まず、会社に勤務しながら、という訳にはいかなくなる。けれども、高齢者福祉関連の仕事に長年従事した彼女の率直な考えには、老人ホームにお年寄りを預けてからは、面会にさえ全く来ない家族が意外に多い、という現実が影響しているのだ。こういった場合、仮に親が認知症を患っていたとしても、それが具体的にどのようなものであるかさえ分からないまま、葬儀の日を迎えるということになる。人の価値観は様々である。何が優れ、何が優れていないかを決めることは簡単ではない。ただ、私の母は、与えられた境遇のもとで、自身の価値観に従いながら、介護をやり遂げた。そしてそれを批判する人を私は今日まで見たことがない。その後ろ姿を見ていた私の頭の片隅には、その後も、このことがそっと存在していたのだと思う。そして、現実として、もうすでに、社会は介護施設にすべてをお任せすれば解決するという考えに警鐘を鳴らし始めている。

  母に、ブラック氏の研究について話をすると、その研究は介護をする人たちの多くに貢献するはずだと答えた。彼女の苦労した体験をいくらか解決する内容が含まれているとのことだった。

  医学の領域では認知症に関する研究が日々進んでいて、認知症の原因になっている要素の特定が可能になり始めているというが、それでも、例えば日本国内で、この病気がすぐに減少するという状況には繋がらないと思う。そしてそうであれば、高齢者の割合が急増し、認知症を患う人々も同時に増加するであろう中で、ブラック氏の研究テーマは直接的に社会に大きな影響を与えることになるだろう。介護者の負担が少しでも小さくなることが、この分野の大きな課題だからである。

  専門の介護士とチームを組みながら、可能な限り家族によって家族を支えることができれば、増大する医療コスト、個の尊厳の問題、家族の実質的な連帯など、現在頻繁に話題となっている問題に対する、ひとつの回答を示すことにも繋がる。アリソン氏の研究は介護士だけでなく、患者の家族にも向けられていると語る。手引書の分析、及びその制作はインフォメーション・デザインという分野から出発したものであるが、それが与える影響はデザイン界のみならず、むしろ社会福祉や医療の領域、或は一般家庭に対して大きい。デザインの概念が、社会全般に密接に関わっていることの好例と言えるだろう。

  私は、こうした事例にもっとスポットライトを当てなくてはいけない、とここで主張したい訳ではない。デザイン、とりわけ情報デザインと呼ばれる、いま私が学ぶ領域が、こうして社会問題に正面切ってアプローチしていることに、えも言われぬ感慨を覚えるだけだ。決して華々しいとは言えない、こうした領域は大きな資本が入りにくいかもしれない。しかし、誰もが抱え、誰からも解決が望まれている問題は、いつもこうした領域に存在しているようにも思う。インフォメーション・デザインの最先端をカンファレンスで知り、改めて、デザインに関わる人々のこれからの役割について、考えてみる機会となった。

▼社会におけるデザインの役割は、今後も重要性を増していくことでしょうね。日本の教育現場おいても情報デザインという考え方により理解を深め、社会還元するための方法論を探究していくべきだと感じました。

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桐山 岳寛
Takehiro Kiriyama
1981年生まれ。2003年に東京学芸大学卒業。会社勤務の後、11年よりモンゴル・ウランバートルにてグラフィックデザイン教師として活動。13年からは英国の大学院でデザインを学んでいる。

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