学長室だより

本学卒業生の角田夏実さんが柔道世界選手権(48kg級)2連覇!

本学出身の柔道家・角田夏実さんが、ウズベキスタンで10月6日から13日まで開催されていた世界柔道選手権の48kg級で、昨年に続いて優勝し、見事2連覇を遂げました(本学HP、News10月7日)。まことに立派なものです。

角田さんは、本学には、スーパーアスリート推薦入試を受けて入学しました。この入試は、高校の大会で優秀な成績を収めた場合に受験できるものです。彼女を有力メンバーの一人とした本学は、2013年の全日本学生柔道優勝大会女子3人制で全国優勝し、私は、生まれてはじめて全国制覇した柔道部の関係者(顧問)となることができました(一般社団法人 全日本学生柔道連盟HP)。また、学生たちが気をつかってくれて、当時監督であった射手矢岬教授(現早稲田大学教授)の他、私のことも胴上げしてくれました。これもまた、生まれて初めての経験でした。彼女を最初に見た時の印象は、おぉ、強い!というもので、それは、以前の学長室だよりでも触れたところですが(学長室だより"オリパラと本学。"2021年9月27日)、その後、彼女は寝技にさらに磨きをかけ、特に関節技を強力な武器とするようになりました。今回の大会でも、寝技と関節技とで対戦相手を圧倒し、5試合すべて1本勝ち、しかも試合時間はかかっても2分ちょっとという完璧な闘いぶりでした。彼女が、本学の卒業生であるということは、まことに誇らしく、この試合ぶりからうかがえる地道に続けているであろう努力精進に心から敬意を表したいと思います。

こうした一流のアスリートの彼女の話をしたところで引き合いに出すのは憚られるところなのですが、私も、学生時代に一応柔道をやっていました。私の大学は、寝技をかなりやる大学でしたが、その経験からざっくりいうと、寝技は、練習量に比例して強くなるもので、逆にいうと、練習しないと強くならないのです。そこが、もって生まれた体格・能力で強いということがあり得る立ち技と大きく違うところです。角田さんが、居並ぶトップ・アスリートを軽々と寝技で仕留めていったということは、彼らを相当に越えた練習を積んだということで(彼女は、もちろん資質にも恵まれていて、それを生かしつつということですが)、これはなかなかできることではありません。彼女の努力精進がうかがえると言ったのはこういうことです。昨年の東京五輪では、いろいろな巡り合わせで代表となることができませんでしたが、次のパリ五輪では、かならずや代表となって、メダル争いに参画してくれると思います。

さて、私のいた大学では寝技をかなりやったと上に記しましたが、それは、柔道界ではちょっと知られていることなのです。そのため、私が学生時代柔道をやり、そして、出身大学――東北大学ですが――を言うと、柔道をよく知る人には、じゃ寝技ができるんですね、などと言われたりするのです(私は、ものにならなかったのに、です)。

この辺りの事情は、日本の学生柔道の歴史と関係していて、また話題としての広がりも多少あり、面白いところもあるように思いますので、稿を改めて記したいと思います。

「分裂病と人類」

もはや2か月も前のことになってしまいましたが、この8月、神戸大学名誉教授中井久夫先生の訃報が伝えられました。中井先生は、精神科の臨床医で、当然その面で立派な業績を多々おもちだったと思いますが、精神疾患及び精神医学の文化性、歴史性(文化精神医学)にも深い学識をお持ちでした。私が勉強したヴィゴツキーやルリヤらの人間の心理の文化‐歴史性を強調する心理学理論と通じるところがあるため、その方面で書かれたものについては、いつも興味をもって、また感銘を受けつつ、読ませてもらってきました。以前の学長室だよりでも先生にはちょっと触れたことがあります。(2020年7月8日「本の背表紙を見るということ」

中井先生のご本には優れたものが数々ありますが、広く世に知られているのは、「分裂病と人類」(東大出版UP選書、1982年)だと思います。20年近く前になりますが、朝日新聞に、多くの識者に確か世に残る名著3冊というようなことを聞くというような記事が載り、この本は、複数の方に挙げられていました(その記事を取っておいたはずなのですが、どうしても見つかりませんでした...)。

この本の第1章は、本のタイトルともなっている「分裂病と人類」です。この論考は、なぜ分裂病はかくも多いか、に答えようとするもので、その答えは、端的に言うと、"人類にとって必要だったし、必要だ"ということです。分裂病者の病前性格ともいえる「分裂病親和者(S親和者)」には、「杳かな兆候をもっとも強烈に感じ、全体を推定し、あたかもその事態が現前するがごとく恐怖し憧憬する」という認知特性があり、それは、狩猟採集生活には非常に有利でしたが、農耕生活になると(農耕は強迫的でもあるがゆえに)、S親和者には合わず、「隠れて生きることを最善」ということにもなりました。しかし、こうした人たちは、「非常時には、にわかに精神的に励磁されたごとく社会の前面に出て、個人的利害を超越して社会を担う気概を示す」。ニュートンや、ライプニッツ、バートランド・ラッセルなどがそうだと言います。こうした点で、S親和者は"人類には必要であるし、必要であった"ということです。また、分裂病者が、病と言える状態を有しているのに、淘汰されず生き残ったのは、「異性のS親和者を憧憬する人々がかなり見受けられ」、「性的パートナーの獲得における有利性、それが子孫を残す可能性を高くしている」と、逆の性淘汰が働いたような説明をされています。「農耕生活を踏みぬいて」遥か原始にまで遡る説明のスケールの大きさに圧倒されます。

S親和者と対をなす執着気質について記した第2章をはさんで、第3章の「西欧精神医学背景史」こそは、圧巻というべきで、神話、宗教、文学、社会経済史、科学史、法制史、果ては、航海術の歴史まで、豊かな学識が自由自在、縦横無尽に紙面上を行き来し、壮大な歴史パノラマを描き出しています。中井先生は、西欧精神医学の歴史的背景として、特に宗教との関係を重視したと言われていますが、実際、ピューリタニズムが西欧精神医学にどれだけ深く食い込んでいるかということがよくわかりました(それは、引用されているもので言うと、サリヴァンのピューリタニズムの勤勉という倫理が人を精神病に追いやるという告発など)。また、精神病の分類が可能になったのには、フランスに始まった巨大精神病院の建設とそこへの患者の長期収容とが関係しているのではないかという指摘(「19世紀の精神病院における雰囲気が、いわば患者の患者性を骨格まで洗い出すようなものでなかったか」)も強く印象に残っています。この章は、後にその章タイトル通りの1冊の単行本として出版されました(みすず書房、1999年)。

中井先生が、単行本となった「西洋精神医学背景史」のあとがきで、「与えられた紙幅の中で「一行の裏に一つの論文、一冊の本」をこめようとした」と書かれているように、この章は、そして、この本に含まれている論考すべて、一文一文に多くの学識、大量の情報が詰め込まれていて、すらすらと読めるものでは到底ありません。が、じっくりと読んでみると、心底得心するというようなものでした。なお、先生は、ギリシア詩人の全詩集の翻訳によって、文学賞を受賞するというような方でしたので、文章のレトリックなどはさすがと思うこともしばしばでした。私は、先生とは一面識もありませんでしたが、希代の、言葉の正しい意味での碩学が世を去ったということ、まことに寂しく思います。
(「精神分裂病」は、現在は、「統合失調症」と呼ばれています。)