学長室だより

「高専ルール」

学長室だよりで、本学卒業生の角田夏実さんが、世界柔道選手権48kg級で2連覇を遂げたことを取り上げた際(学長室だより2022年10月21日)に、私の出た東北大学の柔道部ではかなり寝技をやらされたと記しましたが、今回は、それは何故かについて記したいと思います。

それは、何の大会を目指しているかということと関係しています。東北大学は、国内に7つあった旧制の帝国大学のひとつです(国内の旧制帝国大学は、北から、北海道大学、東北大学、東京大学、名古屋大学、京都大学、大阪大学、九州大学)。この7つの大学では、7大学戦(別名、"7帝"戦)という大会をやっています。私たちの頃(おそらく今も)の東北大学柔道部では、そしておそらく他の6つの大学でも、毎年7月に開催されていたこの大会で優勝することが部の目標でした。そして、この7大学戦というもののルールが独特なのです。

独特であることの第一は、"引き込み"が認められているということです。これは、いきなり寝転んで相手を寝技に引きずり込んでいいというもので、講道館や国際試合のルールでは禁止されています。戦前の旧制高校・高等専門学校の大会でとられていたルールに倣ったもので、通称「高専ルール」と言われています。

こうしたルールがとられていたということは、戦前の旧制高校・高等専門学校の柔道は、寝技を中心とするものであったということです。そうした理由には、前にも書きましたように、寝技は、練習することで強くなることができるものなので、部員に初心者が多かったという旧制高校の柔道部の事情になじみ、純粋な若者の客気というか、求道的精神というか、そうしたものを強く引きつけたのだろうと思います。もちろん、練習の成果が目に見えるというのが、面白かったんだろうとも思います。この"練習量がすべてを決定する柔道"である寝技を追求する旧制高校の部員たちの姿を描いた小説に、井上靖氏の「北の海」があります。これは、井上氏の「あすなろ物語」や「しろばんば」などの自伝的な小説シリーズの最後に当たるもので、井上氏は旧制四高(現金沢大学)の柔道部員でした。

この「北の海」では、旧制中学を出たもののブラブラしていた洪作(これが井上氏です)が、母校の中学に学生の勧誘のために訪ねてきた旧制四高の柔道部員で、一見弱々しい蓮実("練習量がすべてを決定する柔道"とはこの蓮実が言う言葉です)の見事な寝技に衝撃を受け、彼に誘われて、ひと夏を金沢で個性的な柔道部員たちと過ごし、四高を目指すことになるまでを書いた小説で、当時の学生気質、青春模様、旧制高校の柔道が、みごとに描かれています。さすがはノーベル文学賞候補の井上靖氏の筆の力で、読みだすと、つい引き込まれ、途中でやめることができなくなります。

この他、7大学戦では、勝ち負けは、1本勝ちのみで決めます。仮に「技有」を取っても、2つ取らないと引き分けとなります。また、場外の判定が柔軟で、身体がちょっと出たくらいでは、審判は「待て」をかけません。なので、試合が途切れにくくなります。試合は15人でやります。通常の大学の試合は7人ですので、その倍くらいの人数で試合をします。そのため、2年生にもなれば、大体試合に出ることになります。また、試合は、勝ち抜き戦です。勝者は勝ち残ります。試合時間は正味6分、副将、大将戦では8分です。今は、どんな試合でも、例えば、試合をしているどちらかが場外に出、審判から「待て」がかかれば、計時の時計を止めますが、私がやっていた頃は、止めることはあまりなかったように思います。ですので、この正味6分、副将、大将戦では8分というのは相当に長い試合時間でした。このように、7大学戦のルールは、簡単には勝負がつかないようになっていて、みんなが選手となってじっくりと寝技に取り組むルールになっているということができるかと思います。

こうした7大学戦で勝つことを目標としているものですから、練習は自ずと寝技を重視したものとなります。それで、私が7大学のひとつである東北大学で柔道をしたと言うと、事情を知る人は、じゃ寝技ができるんでしょうね、などと言うことになるのです。繰り返しますが、私は、ものにならなりませんでした...。なお、7大学戦の柔道と現代の学生の姿を描いた小説に北大OBの作家・増田俊也氏の「七帝柔道記」(角川書店)があります。これは、井上靖氏の「北の海」の続編となることを意識しているとされています(すみません、まだ読んでおりません...)。

ちなみに、ウィキペディアには、なんと、「七帝柔道」という項目がありました。

また、11月12日のテレビ東京の番組内で七帝柔道のドキュメンタリーが放送されており、そこでは東北大学の柔道部に密着取材がなされています。12月13日まで「ネットもテレ東」のページで配信されています。

「わかりやすければよいのだろうか?」

11月5日から7日まで小金井祭を、予約制とはいえ、対面で開催しました。学生諸君はいろいろと大変な思いをしたと思います。よくがんばったと思います。ホームカミングデーの催しも、2年の間をおいて、今年ようやく再開できました。

ホームカミングデーの今年の講演者は、本学教員で物理学者の小林晋平准教授でした(第22回東京学芸大学ホームカミングデー。小林先生は、今や本学の看板教員です。NHK Eテレの番組"思考ガチャ"では、MCを務め、トークも、どこで勉強されたのか、大変に軽妙で実に手慣れています。講演のテーマは、「わかりやすければよいのだろうか?」というものでしたが、これは、難しい現代物理学を非常にわかりやすく解説ができる小林先生にして、はじめて可能なテーマだと思います。小林先生は、スタイルもシュッとして実にテレビ向きで、また髪形もユニークで、本学に赴任された時にはもう少しおとなしめの髪形であったように思うのですが、それも思い出せないほど、今の髪形はよくお似合いです。講演を聞くのを大変楽しみにしていました。

お話は多岐にわたり、簡単にまとめることはできないほどでしたが、特に印象に残ったことを記してみます。

まず、わかりやすい話というのがどういうものかということについて、科学理論の説明を念頭において、小林先生は、次のような点をあげました。"目的が明確である"、"動機と背景が語られている"、"身体感覚に引き寄せた例えがなされている"、"難しさが分解されて再構成されている"。これらは、いずれももっともなことで、特に2番目の動機と背景のことは、お話の中で言われていたように、その分野の科学者同士では自明のことなので、無視されがちで、しかし、それがないと話がわからないということになります。私が専門とした障害児の心理学では、医学的な知見をよく参照するのですが、その中には、なぜ重要な知見とされているかわからないものがあり、その後研究の流れなどを知って、あぁそういう意味だったのかとわかるということが多々ありましたので、よく理解できるお話しでした。

また、わかりやすくということを追求していくと、わかりやすいことしか求めなくなる、いわば、わかりやすさにひっかかることしか話さなくなるとも言われていましたが、これもよくわかることでした。ただ、こうしたお話の中でYouTubeのことや、オンラインや動画配信型の授業について、批判的に触れられたのは、意外でした。というのは、よく知られているように、小林先生は、「24時間で走り抜ける物理という動画を配信されていたこともあり(コロナ禍にあって、聞いている人を励ますような意義があった非常にユニークな試みであったと思います)、上でも言いましたようにNHKの番組にも出演されているので、こうしたメディアの利用にはポジティブなのだろうと思っていたからです。しかし、小林先生は、動画配信では、特にオンデマンド型の授業ということになると、どんどんとつくり込みがなされていき、対面での授業が本来もっている教員と学生の間のやり取りというダイナミズムが失われていく、それは、オンラインでの授業でもそうなりがちで、そうなると、教員自らの知識を確かめていくようなプロセスが失われていくことにならないかと恐れられているように感じました。いまや、動画配信には制限をかけているそうです。小林先生は、この頃言われる「オンラインもいいよね」という物言いを象徴的に挙げ、批判されていましたが、これは、この頃実際私もよく言っていることなので、大いに反省しました。

最後に、小林先生は、難しいことでも、難しいままで伝わる可能性があると言います。ご自身の経験として、吉田松陰の逸話を話した時のことを挙げていました。それは、松陰が外国船への密航を図ったという科で、一旦入ったら出られる見込みがない獄に入れられた時の話です。そこに入れられても、彼は勉強を続けました。そうした彼に、他の囚人たちが、「こんなところで学んで何の意味がある、どうせ生きては出られないのに」と尋ねたところ、彼は、「何のために学ぶのかはわからない、しかし、知って死ぬのと知らずに死ぬのとは違うと思う」と答えたと言います。この逸話を、小林先生は、大人を含めて、子どもたちといろいろな活動した後で話すそうですが、「これからお父さん・お母さんに話すね」といって話し出しても、そこにいる子どもたちは、しぃーんとして聞き入ると言います。難しい話でも、この人は何か大事なことを言おうとしているということが、子どもにはちゃんと伝わると言います。私にも似たような経験があり、そうだよなと思うとともに、これには、講演の中で、何度か小林先生が言われていた対象(話す内容及び相手)に対する敬意が関係しているとも思いました。

期待通りのとても面白いお話でした。お話の内容が実に充実していて、とりあげられた事柄ひとつひとつについてきちんとお話をうかがいたいところでしたが、残念ながらそうするには、時間が足りませんでした。もう少し時間的な余裕のあるところで、じっくりとお話を聞いてみたいと思いました。またの機会があればと思っています。

なお、この講演は、本学と東京学芸大学全国同窓会辟雍会との共催という形で行われました。辟雍会のみなさまには、日頃の大学へのご支援・ご協力に加えて、講演会の準備にご尽力いただいきました。ここに厚く御礼申し上げます。