学長室だより

「ロシア語だけの青春」(2)

さて、黒田さんの通ったロシア語学校・ミールで採られていた教育法というのは、一言で言えば、徹底した発音指導と暗記(=暗唱)です。「ミールでは音をつくることが大切」と言われたそうです。高校3年生、17歳でミールに通い始めた(改めてすごい!)黒田さんは、"ウダレーニエ"が弱いと多喜子先生に言われ、繰り返し繰り返し発音させられることに面食らいます。ロシア語では、音節のどこか一カ所が他に比べて強く、少しだけ長めに発音されるのですが、これが"ウダレーニエ"です。

このように正しい発音が求められ、繰り返し徹底的に練習をさせられるミールでの授業の進め方は、次のようなものだったと言います。①基本例文と応用例文の発音、②単語テスト、③口頭露文和訳、④口頭和文露訳、⑤質問と答え、⑥次回の単語の発音。時間配分は、①②に1時間、残りの③~⑥に30分だったそうです。発音にかける時間が多いことに驚きます。そして、③口頭での露文和訳はいいとしても、④口頭での和文露訳は、③に比べてずっと難しいものです。しかもその時でも発音は疎かにできないとなると、この課題をうまくこなすためには、家で発音練習して例文を暗唱しておくしかない、となると言います。

ミールの教育方針・方法は、入門期だけではなくて、上級に進んでも同様でした。上級では、新聞記事の購読がおこなわれたそうですが、課題をうまくこなそうと思ったら、新聞記事を暗唱しておかねばならなかったそうです。

こうした作業は、頭で理解するより体で覚えるということで、まるで体育会系だと黒田さんは言います。しかし、昔の芸事はほとんど毎日同じことを習っていたもので、 「身につける」とは、本来そういう訓練を通してのみ実現できるものだとも言います(このあたり、もしかすると、黒田さんのお父さんが落語家だったということも関係しているのかもしれませんが、どうでしょう?、ちなみにお母さんは、絵本作家のせなけいこさんです)

そして、黒田さんは、日本では、「暗記教育学習」が敵視され、調べ学習やプレゼンテーションなどが推奨されているが、外国語教育に暗唱は欠かせないと言います。暗唱は面倒なので、それを避けようと、留学して自然に外国語を身につけようとする人もいるが、そうして身につけた外国語は「自信がなく、弱々しい」。さらに 「暗唱してこなかった学習者の外国語は、底が浅い」とまで書いています。考えてみれば、この学校でとられていた指導法こそ、外国語習得の基本だと気づかされます。

暗記と言えば、私は、高校2年生の時に、仙台から青森の高校に転校したのですが、何か

の弾みで、同級生がみな百人一首を暗記していることを知って驚きました。高校1年生の冬休みの古文の課題だったそうです。一緒に遊んでいた友達がすらすらと詠じるのを見て、なにかカッコよく見えました。今、和歌の味わいなども多少わかってくるような年齢になり、心のあり方に応じて、和歌が自然に心の中に浮かび上がるとしたら、なんとも羨ましい限りです。もはや、私には無理です。

また、ロシアでは、小学校の初めに、国民的によく知られている詩や文学作品の一節は、徹底的に暗唱させるということを米原真理さんの本で読んだ覚えがあります。小さな子どもは丸暗記が得意ですので、何の苦もなくできることだと思います。ロシア人は、酒を酌み交わすときには、何か一言言ってから乾杯とやるのだそうですが、その一言が有名な詩の一節だったりすると言いますが、それは、教育のおかげということになります。いい習慣と思いますが、いかがでしょうか(お酒を飲む方ではなく、詩の一節を吟ずるということの方です)。

さて、この本は次のような印象深く、余韻を残す文章で終わります。

「講演会で外国語学習についてはなしたとき、こんな質問が出た。「ひたすら発音して、暗唱してという、ミールの方法をどう思いますか」答えは決まっていた。わたしはそれ以外に知らない。本当に、知らないのである。」

この本は、2018年に単行本として現代書館から出ていたものですが、当時は読んでいませんでした。今回、文庫になって手に取りやすくなっていましたので、読んでみたところ、久しぶりに「ページが減っていくのが惜しい」と思う読書体験となりました

「ロシア語だけの青春」(1)

私が心理学で一番勉強したのは、ソビエトの心理学でした。ロシア語については、大学の授業で取ったことはなく、全然読めないと言っていいのですが、2002年にロシアに行ってからは(この学長室だよりに前にも書いたように、その前にソビエトにも行ったのですが)、ロシア語にも関心をもつようになり、テレビやラジオのロシア語講座を見たり、聞いたりしていました。そうしたロシア語講座で講師をつとめていた方に黒田龍之介さんがいます。この方は、テレビでロシア語を講じている時の所属は東京工業大学で、その後明治大学に移られたのですが、その時には英語の先生になっていました(!)。が、その理由は、その後出された「世界の言語入門」(講談社現代新書、2008)を見て、納得しました。この本は90もの言語の勘所を紹介していて、黒田さんの言葉に対する知識に圧倒されるものでした。ロシア語に限らず、言語の知識が豊富だから英語の先生にもなれるのだと得心したというわけです。

この黒田さんの、「ロシア語だけの青春」(ちくま文庫、2023)という本を文庫で読みました。
この本は、タイトルどおり青春回顧記で、"ミール・ロシア語研究所"というロシア語学校について、黒田さんの高校時代から現在に至るまでの思い出を書かれたものです。このミールという学校は、東一夫さん、多喜子さんというご夫婦が始められたものです。テレビやラジオのロシア語のテキストに広告が出ていたので、私も名前は知っていましたが、ロシア語を正しく教えるということに、かくも情熱を注いでいた学校だったとは知りませんでした。黒田さんは、その情熱に引きつけられ、この学校で学ぶうちに、立場は生徒から講師へ変わり、そして、閉校が決まってからは、授業が不足する分の補講を買って出るまでに深いかかわりとなります。一見涼しげな面立ちの黒田さんがこのように熱い人だと思いませんでした。黒田さんのこの学校に対する思い入れは、半端なものではなく、この学校――代々木の貸しビルの、2部屋だけの学校だそうですが――が、閉校になった直後には、そこを借りることも考えたというから驚きです(そう考えた人が、その学校で学んだ人の中には他にもいたというから、ますます驚きです)。

黒田さんは、高校1年からすでにカルチャースクールなどでロシア語を学び(!)、チェーホフなども原書で読めるようになっていた(!)ものの、ロシア語検定試験に落ちたことを契機に(文法と和訳はまずまずだったが、聞き取りと発音が悪かったそうです)、高校3年の時には、本格的なロシア語学校に通って、満遍なく語学力をつけたいと思い立ち(!)、偶然にも言語学とチェコ語で有名な先生と会う機会を得たときに、ロシア語を伸ばすにはどのような学校で学べばよいか尋ねた(!)ところ、即答で教えてくれたのがミールだったそうです。この黒田少年のbehaviorには、いくつもの"!"がつくもので、これもまた、こうした人が言語学者になるのだと思わされますが、この学校の教授法というのが、きわめてユニーク(とりあえず言っておきますが)なのです。が、それを記すには、すでにかなり長くなってしまいましたので、回を改めて記します。(この稿続く)