学長室だより

「アート・アスレチック教育センター」

11月13日の水曜日、今年新設した本学アート・アスレチック教育センターのオープニング・イベントがありました。記念講演に、本学出身でパリオリンピックで、女子48kg級で金メダル、団体戦で銀メダルを獲得した角田夏実さんをお呼びして、「準備力」と題してお話し頂きました。また、本学2人目の栄誉教授称号を授与いたしました(お一人目は、栗山英樹WBC優勝監督)。大変盛況で、本学芸術館が一杯となりました。その時イベントの冒頭にしたご挨拶を掲載します。アート・アスレチック教育センターを、お見知りおき頂ければ幸いです。

――――――イベントでの挨拶――――――

本日は、アート・アスレチック教育センターのオープニング・セレモニーに多数のみなさまにご参加いただき、まことにありがとうございます。学長の國分でございます。日ごろから、ご支援頂いております団体や個人の皆様、並びに小金井市・国分寺市・小平市にお住まいの皆様にもご臨席を賜りました。心より深く御礼申し上げます。

さて、本学の名称である東京学芸大学の「学芸」という言葉は、「学問」と「芸術」諸般を表しており、本学の教育と研究において「芸術」と「スポーツ」はなくてはならないものです。そして、スポーツ、芸術の教育やそれぞれの専門で活躍する人材を数多く輩出して参りました。最近のことで申しますと、記憶に新しいパリオリンピックの女子柔道で、本学の卒業生である角田夏実さんが、抜群の強さで金メダルを獲得いたしましたし、また昨年度はワールド・ベースボール・クラシックの日本代表監督として、同じく本学の卒業生である栗山英樹さんが、チームを世界一に導きました。角田夏実さんには、後ほど、栄誉教授称号授与式とご講演をいただきます。

芸術とスポーツが、人生を豊かにすることは言うまでもありませんが、教育界では、現在、理数系人材の必要性から、理数系教育に重点がおかれるような動きが進んでおります。しかし、そうした中では、いっそう、芸術やスポーツに対する理解の必要性が増しています。Science、Technology、Engineering、MathematicsからなるSTEM教育より、ArtのAを入れたSTEAM教育が、最近では、よく言われるというようなことなども、そうしたことの現れかと思います。また、ウェル・ビーイングを重視する人の生き方からは、学ぶことが、何かを達成するための手段というのではなく、学ぶこと自体が楽しい、また、楽しみながら学ぶことができるということが重要で、芸術やスポーツは、そうした観点から注目されているところです。

本学では、こうしたコンセプトに基づき、そうした芸術・スポーツの研究開発、地域貢献を行うことのできるセンターを構想し、文部科学省に働きかけてきましたが、本年度から「アート・アスレチック教育センター」としての設置が認められました。こうしたセンターは、本学独自で非常にユニークな、先進的で、全国に類を見ないものでございます。

今後、こうしたコンセプトを体現すべく、特に、本学の芸術とスポーツの活動が、地域や社会に一層貢献できるよう、本センターを運営して参りたく存じます。みなさま方におかれましては、今後とも引き続きのご支援・ご協力をお願いしたしたく存じます。どうぞよろしくお願いいたします。これをもちまして、開会のご挨拶とさせていただきます。以上です。ありがとうございました。
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柔道家・角田夏実氏が東京学芸大学から栄誉教授称号を授与され講演会を実施 | 国立大学法人東京学芸大学のプレスリリース



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          栄誉教授称号授与の様子【左:学生 中央:角田選手 右:國分学長】

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                  栄誉教授称号授与の様子【角田選手】

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            本学正門通りバナーでの撮影【左:角田選手 右:國分学長】

東京学芸大学附属特別支援学校創立70周年

大分、間が空いてしまい、失礼しました。今回は、本学の附属特別支援学校のことです。附属特別支援学校は、今年で創立70周年を迎えます。10月6日に、毎年開催されている学校あげての行事である「若竹まつり」と合わせ、記念式典が行われました。私も式典で簡単な挨拶をし、また、記念誌に原稿を寄せました。その原稿と、式典当日の挨拶で、在校の児童・生徒のみなさんに向けて話したこととを合わせて掲載いたします。

――――――記念誌への寄稿文――――――

東京学芸大学附属特別支援学校が、創立70周年を迎えることになりましたこと、学長として大変うれしく思います。
本校は、知的障害を有するお子さんの学校として、わが国の草分けとなった学校です。その自負をもちまして、今日まで教育実践並びに大学の附属学校としての務めを果たしてまいりました。こうして70周年を迎えることができましたのも、関係のみなさまのご協力・ご支援のおかげと感謝しております。

私は、1999年に前任校から本学に転任してまいりました。特別支援が専門ですので、赴任した直後から本校には、折を見て出向いておりましたが、入学式や卒業式などの行事に必ず出席されていた方に、当時の若竹会の会長の津田由夫さんがいらっしゃいます。70歳代後半のようにお見受けたしましたが、本校の開設に保護者として関わった方でした。お会いするたびにこうした学校の存在の重要性を語られ、お子さんのために学校づくりに奔走され、大学幹部のところへ日参されたこと等お話しくださいました。まことに貴重なお話しで、そのご苦労、お子さんを思うお気持ちに打たれました。日本の特別支援教育の歴史をつくられたお一人と言っていいでしょう。そうした方に出会うことができたのは、本学に転任してきたればこそで、まことに幸運でした。そうした先人の方々のご苦労に、今あらためて思いをいたしつつ、今後も、附属学校・大学ともども、日本の特別支援教育を先導する取り組みを進めていきたいと思います。引き続きのご支援・ご協力をお願いいたします。

――――――児童・生徒のみなさんに向けて話したこと――――――

児童・生徒のみなさん、学長先生が少しお話します。ちょっと聞いてくださいね。みなさんの附属特別支援学校は、今年で70周年を迎えます。人間でいうと70歳になるということです。学長先生は、今年で69歳になりました。だいたい同じ歳ですが、学校の方が、1つ上、お兄さんということになります。学長先生は、こんな風に頭がはげたり、脚が利かなくなったり、大分老けましたが、学校の方は、今から20年前に大きな改修工事――傷んできたところを直したのですね――をしたので、そして、また、みなさんが学校を大事に、大切に思ってくれているので、こうして元気に70周年、70歳になることができました。人間で70歳というのは古稀と言います。これは、昔は、70歳まで生きるのは、古来稀れなり、つまり、あんまりないということから言われたことです。こうした歳まで学校が長生きできたことを、学長先生は、大変うれしく思います。みなさんも同じ気持ちになれるとうれしいです。児童・生徒のみなさん、この学校は、みなさんの学校です。これからもずっと、学校のことを大切に思ってくださいね。これで学長先生のお話はおしまいです。静かに聞いてくれてありがとうございました。以上です。