学長室だより

2月になってしまいました...

年が明けて随分と経ち、2月となってしまいました。少し書き物等が立て込んで、「学長室だより」が後回しになってしまいました。大変失礼しました。年が明けてからこの間にしていたこと等を記して、本年の最初のごあいさつとさせていただきます。

昨年末に、国立大学協会の広報誌である『国立大学』の取材を受け、"日本の未来の鍵を握る教員養成"ということで、インタビュアーの井田専務理事(滋賀大学元学長)とお話をしました。おやさしく聞き上手な井田先生に甘えて、いろいろと取り留めのないことをお話してしまいました。今年に入り、井田先生と一緒にインタビューにいらしたライターの方が苦労してまとめてくださったゲラが届いたのですが、大幅に修正することになってしまい、大変に申し訳ないことになってしまいました。が、取材を受けた後に、悔やんでいた部分――インタビューの最後に、ライターの方から「結局どういう教員を育てたいのか?」という問いかけを受け、あまりに真正面からの問いであったので、咄嗟にうまく答えられなかったのでした――にも手を入れ、多少形を整えることができました。『国立大学』が出されたら、HPなりで紹介したいと思います。

1月末に東京で開かれた全国都道府県教育長協議会で、日本教育大学協会の会長の立場で、教育長の方々と意見交換を行いました。当方からは、教員養成大学・学部にとって教員就職率アップは至上命題なので、是非とも多くの学生を採用してほしいということや、教員志望の学生が一般企業に流れるのを防ぐために教員採用試験の早期化などが講じられている中で、3年次から教員採用試験の受験を認めるという方策は、学生の"教師になる"という動機づけを維持し、高めることができるので是非検討してほしいこと等、話しました。教育長の先生方からは、「教科の中には、教員養成大学・学部でも教職課程維持が危ぶまれているものもあるが、大丈夫か?」、「教職志望者を増やすためには、高校生への働きかけも必要なのではないか?」、「3年生からの教員採用試験受験を認めることは、大学のカリキュラム上問題はないのか?」等、いずれも現在の教員養成の問題の中心に触れるご質問・ご意見を頂きました。この意見交換は、私の前の出口学長の時代に始めたもので、私が学長になってからしばらくの間は、コロナ禍のために対面では行われていなかったのですが、昨年から対面での開催が再開されました。教員採用側のご意見を広く全国レベルで一挙に聞くことができる稀有な機会なので、これからも続けていく価値のあるものだと思います。

また、この1月から中教審の教員養成部会の臨時委員となり、1月末に教員養成部会の議論に参加しました。今回は委員の補充などを行った最初の部会ということで、委員全員が諮問に対する意見表明をせよということでした。諮問は、教職課程、採用・研修、社会人等登用の3点のあり方について、制度の根本に立ち返って検討するというものでしたが、諮問の重大なテーマには、「教師不足」にどう対応するかがあると思います。時間が限られていましたので、私は、教職課程にかかる部分について話しました。教職課程にかかる部分では、現行の教職課程で求めている単位数が多すぎて、学生に敬遠されているのではないか、それにより教員の志願者が減っているのではないか、ということと、少子化の中で教職課程の維持が困難になり、必要とされる教員数を輩出できなくなる事態が生じるのではないかということが、主要な論点のように見えました。そのため、前者については、もし単位数を減らすなら、今の2種免許状を標準とすれば20単位程度は負担が軽くなるが、それでは教師の質保証が十分でないきらいもあるので、教員養成フラッグシップ大学で開発している科目を4~8単位ほど積み増すようにしたらどうかということを、後者については、今後は国公私立の設置者を超えた連携協働が必要・必至となり、その場合に国立大学はその中心を担うことになるだろうというようなことを述べました。この連携協働については、地方では特に必要となってくると思います。国立大学が私立・公立大学と連携協働し、国立の単科大学は、そうした地方での連携協働を、もう少し大きな地域レベルで支えていくというような連携協働が、ひとつのスタイルかなと思っています。この部会での議論については、随時紹介していきたいと思います。

この年末からのアメリカの大火事や日本海側の豪雪等、地球環境の激甚たる異変が見られる中で、ウクライナ、ガザでの戦争はなかなか収まらず、さらに残念なことには、世界には強権的な指導者が増えています。自然と人間を巡る状況は、明るい展望が見られるとは言い難いものとなっていますが、教育の力を信じ、教育こそが人間の未来をつくるということを胸に刻み、"有為の教育者の養成"という使命を果たしていきたいと思います。今年もどうぞよろしくお願いします。

2024年の年末にあたって。

先週の土曜、ウィーン室内弦楽オーケストラのクリスマス・コンサートに行ってきました。このコンサートのことは昨年末の学長室だよりにも記したところですが、これを聞きに行くのが、我が家(と言ってももはや妻と私の二人だけですが)の年末の恒例行事となっています。演目が、よく知られている非常にポピュラーなクラシックばかりで、詳しくない私らにとっては、ちょうどよいのです。例えば、"G線上のアリア"とか、"アイネ・クライネ・ナハトムジーク"、ヴィヴァルディの"四季"の"冬"等々です。そうした中で、私が特に気に入っているのが、"カッチーニのアヴェ・マリア"です。これは、バッハやシューベルトのアヴェ・マリアと並んで、三大アヴェ・マリアと言われているものです。曲の基調は抑制的で、それが"サビ"部分にくると、旋律の掛け合いとなり、最後に今まで抑えられていたものがバァーと吐き出されるような感じとなります。曲のイントロを聞いただけで、グッときますし、"サビ"部分では心が揺さぶられます。

この曲、"カッチーニの"となっていますが、実は、今では、ソビエトの古楽研究者・演奏家ウラジミール・ヴァヴィロフが作ったものだとわかっています。彼は、すっぽりとソビエト・ロシアの時代に生きた人で、イタリアのルネッサンス末期の作曲家カッチーニに仮託して、自作の曲を発表したのでした。

ヴァヴィロフ...というと、思い起されるロシアの学者がいます。植物学・遺伝学者ニコライ・ヴァヴィロフ。ロシア革命からスターリン期に生きた人で、ソビエト科学アカデミー遺伝学研究所所長を勤めていましたが、スターリンの支持を得たルイセンコに激しく敵視され、逮捕・投獄、最期はサラトフの監獄で餓死したと言われています。ルイセンコの唱えた学説というのは、獲得形質の遺伝を認め、メンデルの法則を否定するという、今からすれば荒唐無稽、奇妙奇天烈な「学説」なのですが、これがスターリンのお墨付きを得て、20世紀半ば過ぎまでソ連を支配していました。スターリン期のソビエトの生物学は狂気の中にいたとも言われる所以です。そうした中で、まともな科学者であり、世界的な評価も高かったニコライ・ヴァヴィロフは悲劇的な最期を遂げたのでした。

ウラジミール・ヴァヴィロフが、なにゆえ自分の名前でなく、他人の、それもかなり昔の人の名前で自作を発表したのか...その理由は定かではありませんが、そうしたことは、ソビエト期のロシアでは珍しいことではありませんでした。有名な例を挙げれば、ミハイル・バフチン。彼は、20世紀の人文系の学問に大きな影響を与え、特に文芸批評の分野では無視することのできない人物ですが、彼も他人名義でいくつかの重要作品を書いています。例えば、「マルクス主義と言語哲学」。この本は、私も持っていますが、著者名はヴォロシロフとなっています。翻訳もその名前で出ていました。

バフチンは、なぜこんなことをしたのか?それは、やはり、スターリン体制の中では、思ったことをそのまま表現することは、命に関わることであったからだと思います。ウラジミール・ヴァヴィロフの場合はわかりませんが、ネットで見ると、本来彼は演奏家で、作曲には自信がなかったからなどともされていますが、しかし、スターリンの権力は、音楽にも及んでいました。かのショスタコービッチは"ムツェンスク郡のマクベス夫人"というオペラ音楽でスターリンの不興を買い、その挽回に必死になっています。つまり、音楽とて例外ではなかったのでした。

さて、大統領職と首相職を渡り歩き、すでに25年、四半世紀もロシアの最高権力者の地位にあるプーチン。彼をスターリンになぞらえるつもりはありませんが(スターリンは彼より数段強大でしょうから)、しかし、彼には、選挙不正や、ジャーナリスト・元スパイ・政敵といった彼にとって厄介な人物の暗殺疑惑がずっとまとわりついています。この彼が起こした戦争が、はや3回目の年を越します。一体何人の死ななくてもよい人たちが死んだのでしょうか?これは、ウクライナの人たちはもちろん、ロシアの人たちとて同じです。

最初に記しました、私の行ったウィーン室内弦楽オーケストラのクリスマス・コンサートというのは、昨年も記しましたように2019年までは、実は、サンクトペテルブルグ室内合奏団のクリスマス・コンサートでした。それが、コロナで来日に制限がかかり、コロナが明けると、今度は戦争でサンクトペテルブルグの人たちが来れなくなったので、ウィーンの人たちに代わったのでした。同じようなプログラムをすぐに用意する企画会社にあらためて感心しますが、サンクトペテルブルグの人たちには、この人たちならでは、のところもあり、そもそも私はロシアの人たちが来るというので、このプログラムに関心をもち、聞きに行くようになったのでした。できれば、また彼らの演奏も聞きたいと思います。

ウクライナとロシアの人たちに、そして、今ももうひとつの拡大する戦争地域、ガザ、中東の人たちに、平穏で、安らかに眠ることができる日々が一刻も早く戻りますことを、そして、喜びに満ちた新年を迎えることができますことを。2024年の最後にあたり、心から祈ります。

関係のみなさま方、今年もお世話になりました。来年も引き続きよろしくお願いします。