学長室だより

"耳が 餃子"?!

もはや1カ月ほど前になりますが、ラグビーワールドカップフランス大会は、南アフリカの2連覇で終わりました。日本は、フィジカルが強いとされた(これは、体力で勝るという意味でしょうか、最近はこういう言い方をするんですね)アルゼンチン相手に善戦しましたが、決勝トーナメントに進出はできませんでした。しかし、最後まであきらめない姿には、前回の日本大会同様、感動しました。

そんな中でちょっと気になったことは、リーチマイケルさんが、ヘッド・ギアをかぶって出場していたことです。ああ、こういう超一流選手でもかぶって試合に出ることがあるんだと思いました。高校生の大会では、選手はよくかぶっていますが、大学生の試合になると、もはやあまり見ないからです。

この学長室だよりでも何度か書いたように、私は学生時代柔道をやっていたのですが、このヘッド・ギアは、わりとなじみのあるものでした。大学の時には、自分で買って持ってもいたし、実際につけて練習していたこともありました。何のためにつけるかというと、ラグビー同様、耳(正確には、耳介)を守るためです。というのは、柔道で、寝技をやっていると、耳が"もみくちゃ"になることが少なくありません。そして、それが繰り返されると、耳介は内出血を起こして、腫れあがってきます。ひどくなると、溜まっている血が皮膚を通して紫色に見えたりします。腫れあがっている耳は、かなり痛みます。こうなるのを防ぐ、あるいは、こうなっても練習する(!)ために、ヘッド・ギアをかぶるのです。私の出た高校は、わりと寝技をやる高校だったので、ヘッド・ギアは、道場にころがっていて、耳が痛くなってくるとかぶっていました。大学では、入学早々、先輩方の強烈な寝技の洗礼を受け、5月には耳が"つぶれ"かけたため、ヘッド・ギアをかぶって練習することになりました。今、耳が"つぶれ"かけたと書きましたが、どういうことかと言いますと、腫れあがった耳は、いずれ治って元に戻るかというと、そうはいきません。腫れあがった耳は痛いので、お医者さんに行くと、そこで治療としてなされるのは、注射針を刺して、溜まった血を吸い取るというものです。これが、猛烈に痛い(のだそうです)。そうすると、耳は、風船が縮むように、"ぐちゃぐちゃ"となります。病院に行かずに放っておいたとすると、腫れたまま固まり、本来引っ込んでいるはずの部分が腫れた形状のまま飛び出して固まります。いずれにしても、耳は元の形には戻らないのです。こうした状態を、耳が"つぶれ"たと言い、"耳が餃子"になったと称したりします。

ラグビーでは、フォワードの選手たちが、スクラムを組むので、耳が押し付けられて、"つぶれ"るのだと思います。日本チームの姫野キャプテンも両耳とも"つぶれ"ていましたが、特に、右耳の変形の仕方は、かなりのもので、上で言った腫れた形状のまま飛び出して固ま

るというタイプだと思います。相撲も、頭からぶつかったり、四つに組んで耳を強く押し付けたりするので、"つぶれ"るのでしょう、時々耳が"つぶれ"ている力士を見ます。昔の横綱、三重の海の左耳も、姫野さんと同じように膨れ上がる形で変形していました。

私は、左耳が腫れて、軽い内出血状態そのままに固まりました。お医者さんには、痛いのがこわくて、行きませんでした。なので、私は、血を抜くのが痛いかどうかは、本当はわからないのです。"パッと見"には、わからない程度で、うまくつぶしたと思っています。それは、ヘッド・ギアをかぶっていて、ちょっと耐えられないと思うと、練習の手を抜いたり、理由つけて練習をサボったりしたからです。ま、そんなんだから、私の柔道はものにならなかったんだと思いますが。それでも、イヤホンは、左耳には入りません。私が、共通テストのヒアリングを受験するとしたら、ヘッドフォン貸与組となります。また、腫れの固まった部分が、耳の穴に少しかかっているので、左側の聞こえは、右に比べて落ちているように思います。うまくつぶしても、そうした不便はありました。

ちなみに、ちょっと前とはなりますが、リーチマイケルさんは府中にお住まいで、駅前辺りで自転車に乗っている姿がよく見られるというのは、府中では有名だったようです。私の娘のひとりも府中に住んでいて、何度か目撃したと言っていました。私も娘のところに行ったときに、リーチマイケルさんが、駅前のスクランブル交差点を籠のついたママチャリで横断するのを目撃しました。悠揚迫らざる風情で、独特のオーラに包まれて、ゆっくりとペダルを漕いでらっしゃいました。

創基150周年記念式典式辞

みなさまには、本学の創基150周年の記念式典にご出席いただきまして、まことにありがとうございます。特に、壇上にいらっしゃる文部科学省の安彦審議官、東京都の浜教育長、おもちゃ王国の髙谷社長には、ご来賓としてお出でいただきました。また、フロアにいらっしゃいますが、小金井市の白井市長にもお出でいただきました。まことにありがとうございます。

すべての方々をご紹介いたしたいところではありますが、時間の都合上それはゆるされません。どうぞお許しください。

さて、創基150周年というのは、明治6年1873年に、東京府小学教則講習所が設置された時から数えてということでございます。これまで本学は、創基について、周年行事を行ったことはありませんでした。これには、やはり、戦前の師範学校についての戦後の評価が関係しているかと思われます。今回創基と冠して周年行事を行いますのは、そうした師範学校も本学の歴史の中にきちんと位置づけていくというわれわれの姿勢の現れです。「東京学芸大学150年の歩み」として、周年史もまとめました。これまで、周年史は2度編纂されておりますが、いずれも新制大学から数えてのもので、今回のような周年史は、初めてです。

さて、先ほど、東京府小学教則講習所の設置から数えて150周年と申しましたが、昨年が学制発布から150周年ということでしたので、この講習所は、学制発布と時を置かずに設置されたということです。近代日本の教育制度の基本をなす重要なことであったと言えます。その後の本学の歩みを簡単に申し上げますと、小学教則講習所は、その後、これも先ほど申し上げた師範学校となり、東京にはいくつかの師範学校が設置されました。そうして、終戦を迎え、昭和24年1949年に、それらの師範学校を統合して東京学芸大学が発足いたしました。その後、昭和41年1966年に、大学院修士課程教育学研究科を、平成8年1996年には、埼玉大学、千葉大学、横浜国立大学と本学の4大学から成る大学院博士課程、連合学校教育学研究科を設置いたしました。平成16年2004年の法人化を経て、平成20年2008年には、教職大学院教育実践創成専攻を設置いたしました。平成27年2015年には、学校教育及び地域での教育活動を支援する教育支援職を養成する教育支援課程を、わが国ではじめて設置いたしました。

その間、附属学校は、幼稚園、小中学校、中等教育学校、高校、特別支援学校と全部で11を数えるに至り、学校園は、それぞれの教育現場に立脚した先導的な研究成果を挙げ、全国に発信してまいりました。

最近の本学のことを申しますと、令和4年2022年に、教員養成フラッグシップ大学の指定をうけました。これは、わが国の教員養成を先導する先進的な取り組みを進め、それを全国的に展開していくことを期待される大学・学部が指定されるもので、審査の結果、全国で4つの大学・学部が選ばれています。本学では、このために先端端教育人材育成推進機構を立ち上げました。これは、

8つのユニット、1つのチームから成り、ユニットでは、学校教育、教員養成をめぐる我が国の問題ほとんどすべてを網羅する取り組みを進め、チームで全国展開を図るという大掛かりな取り組みで、今年で2年めとなりますが、着々と成果を上げております。

また、本学は、教員養成系大学としては、かなり珍しく、おもちゃ王国様をはじめとして、産学協働を、附属学校をも巻き込んで進めて参りました。これは、今後の教員養成系大学の在り方を先んじて示してきたと自負しているところです。野球場グランドの前、南側に風変わりな建物が立っております。これは、HIVE(H,I,V,E)棟と言いまして、スタートアップを支援するミスルトゥ株式会社の寄付によって建った建物です。この建物をたまり場のようにして、子ども、学生、教員、地域の人が集い、協働して面白そうなことを立ち上げていくことを目指しています。そうした様々な人々の協働というものは、教員養成系大学のひとつの方向性を示しているのではないかと思います。あの建物の、緩やかなカーブを主とするフォルムは、直線的な固いあり方を拒否し、しなやかに、すべてを受け止めていくような柔軟性を体現しているようにも思います。まだ、ご覧になっていらっしゃらない方は、休憩時間やお帰りの際にぜひご覧頂ければと思います。

さて、初代東京学芸大学長の木下一雄は、新制大学として初めて迎えた卒業式の式辞で次のように述べたと言います。「学芸の名を冠する大学設立の理想は、明治時代に菊地大麗氏の唱えたところでありますが、本学はこの精神を採り、高き知性と、豊かな教養に富む人物の育成を基盤とし、その上に、信念かたき教育の専門職を養成する、明白な使命をもち、こうして皆さんを世に送り出すことになりました」というものです。木下学長の言葉の中にある「高き知性と、豊かな教養に富むことを基盤とし、信念かたき教育の専門職」というのは、教育者たるものの理想をまさに言い当てたもので、そうした教育者を養成するという使命は、大学のみならず、本学の源流たる講習所以来、師範学校時代を経てずっと脈々と流れている、本学のバックボーンでございます。

本学は、今後も、教育支援職を含む有為な教育者養成を使命とし、粛々と、清々と歩を進めて参りたく存じます。みなさま方におかれましては、引き続きのご支援、ご協力、ご指導を賜りたく、お願い申し上げます。以上をもちまして、私のご挨拶とさせて頂きます。どうもありがとうございました。

令和5年11月4日

東京学芸大学長 國 分 充