学長室だより

"ユダヤ人の血"。

今月初め、ロシアのラブロフ外相が、ユダヤ人を迫害したドイツのヒトラーに「ユダヤ人の血が流れていた」と発言しました。ロシアがウクライナ侵攻の理由のひとつに挙げたウクライナの"非ナチ化"ということについて、ウクライナの大統領であるゼレンスキー氏がユダヤ系だからといってウクライナがナチ化しないわけではないと、ウクライナ侵攻を正当化する趣旨で発言したようです。

この発言には、イスラエルが猛反発しました。ユダヤ人がユダヤ人の大虐殺を行ったということか!と。

イスラエルの反応はもっともで、ラブロフ外相の発言はいろいろな点で批判されるべきです。

私は、彼の言う"ユダヤ人の血"というのが気になりました。一体これはどういう意味なのでしょうか?

ヒトラー(ナチス)は、ユダヤ人を"人種"のように扱いました。生物学的な人の単位として、ということだと思います。が、しかし、彼らが実際ユダヤ人をどう定義したかというと、「当人の祖父母の代に遡り、4人の祖父母のうちの3人以上がユダヤ教徒であった場合、及び、祖父母のうちの2人がユダヤ教徒でも本人もユダヤ教徒の場合」にユダヤ人としました。つまり、"人種"という言葉から連想される生物学的な何かではなく、宗教上の信仰と関係させました。そうせざるを得なかったということで、彼らの、ユダヤ人=人種論の破綻は明らかでした。また、この定義では、いろいろなケースが考えられ、種々複雑なものとなりました。例えば、祖父母のうちの2人がユダヤ教徒で、本人がユダヤ教徒でない場合には、「1親等ユダヤ系混血」、祖父母の1人がユダヤ教徒で、本人がそうでない場合には、「2親等ユダヤ系混血」などとされました(大澤武男、"ヒトラーとユダヤ人"、講談社現代新書、1995)。

哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの一家の歴史を描いた"ウィトゲンシュタイン家の人々"(アレグザンダー・ウォー、中央公論新社、2021)にも、このことにまつわる話が出てきます。この本で紹介されていたのは、「2分の1アーリア人の男性が、アーリア人の母親をもつ女性と結婚していたとして、そのアーリア人の母親が娘をユダヤ教徒として育てるためにユダヤ教徒に改宗していた場合はどうなるのか?この結婚で生まれた子供はどういう扱いになるのか?」というもので、これは、ドイツ非アーリア人キリスト教徒協会が1936年3月に発行した質疑応答形式の小冊子に書いてあったものだそうです。こうなると、何が何だかわかりません。この本では、ルートヴィヒの姉兄が、ユダヤ人の認定から逃れるべく、奔走する姿が描かれています。彼らにはユダヤ人という自覚はなかったのですが、祖父母4人のうちの3人がユダヤ教徒であったことがわかり、ユダヤ人とされてしまいます。(3人のうちの2人は、後にキリスト教に改宗していたのですが、祖父母の改宗は認められないものでした)

そもそも、"人種"なる概念は、生物学的には、その実在性を疑われている概念です。原型としては想定され得るかもしれませんが、実際の、今ここにいる一人の人について、 "人種"を特定することは、人々の交通、交流、混血がさんざんに進んできた結果の中に生きている我々にとっては、到底できることではないことは明らかです。こうした根本的な点からしても、ナチスのユダヤ人=人種論は破綻していたのでした。

さて、こうしたことを背景に置いた時に、ラブロフ外相は、一体どのような意味で、"ユダヤ人の血"と言ったのでしょうか。"血"という言葉は、単に家系というような意味でも使われることもありますが、遺伝的、生物学的なイメージを抱かせる言葉だと思います。こうした言葉を、無責任な発言など元より許されない一国の大臣が使うとは、"非ナチ化"という戦争目的に劣らず不可解です。

さらに驚くべきことは、ロシアのプーチン大統領が、このラブロフ外相の発言について、イスラエルのベネット首相に素早く謝罪したことです。先の学長室だよりでも、少し触れましたが、ロシアとイスラエルとの関係には、デリケートなものがあることをうかがわせます。が、しかし、それにしても、一国の外相が、こうした意味のよくわからないことを言い、そして、さらに、その発言を、大臣を統括する大統領が関係国に即座に謝罪するとは、俄かに信じがたい振る舞いです。

ロシアのウクライナ侵攻に大義のないことは明らかです。ロシアは、一刻も早く兵を引くべきです。

"What's Going on"

Mother, mother
There's too many of you crying

Brother, brother, brother
There's far too many of you dying

これは、アメリカ、デトロイトのモータウン・レコードに属していたマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)の1971年のアルバムのテーマ曲、"What's Going on"の始まりの部分です。ベトナム戦争から復員した弟のフランキーから戦争の実態を聞き、衝撃を受けて作った作品です。この曲から始まるアルバムは、全編流れるように曲が続いていき、反戦の他、貧困と格差、環境問題もテーマとなっているコンセプト・アルバムです。ポピュラー音楽の世界では、コンセプト・アルバムなど珍しく、ビートルズ以外にはないというような時代に、黒人による、政治的なメッセージをもった、音楽性のきわめて高い、こうしたアルバムが出たということは大変な出来事だったと思います。しかも、このアルバムは彼のセルフ・プロデュースでした。いろいろな意味で、ポピュラー音楽史上記念碑的なことだったと思います。

実際、80年代後半のことだったと思いますが、30数人のイギリスの音楽ライターによる、これまで出されたポピュラー音楽界のアルバムの中で最高のものは何かという投票で、このアルバムが、歴代1位と評価されたことを記憶しています。

しかし、マーヴィン・ゲイは、モータウンを代表するアーティストのひとりではありましたが、もともとは、こうしたプロテスト・ソングをつくるような人ではなく、男女関係が彼の持ち味で、ヒット曲も、今に残る名曲も数々ある人でした。女性歌手とデュエットした名曲もいくつもあります。

また、彼は、精神的にきわめて不安定な人で、恵まれているとは言えない家庭環境で育ち、薬物中毒がずっとついて回ったその生涯は、精神の不調との闘いと言っていいようなものでした。私生活も順調ではなく、二度の結婚と二度の離婚を経験しています。一度目の離婚の時には、高額な慰謝料が払えず(一度目の妻は彼が属していたモータウン・レコードの社長ベリー・ゴーディ・ジュニアの妹アンナ・ゴーディで、彼より17歳年上でした)、離婚をテーマにした2枚組のアルバム(邦題「離婚伝説」)を出したものの、営業的には失敗したとされています(名盤との評価もあるのですが)。

1983年に出したアルバム"Midnight love"が、念願のグラミー賞に輝いた翌年、不調の極みに落ち込んだマーヴィンは、両親にプレゼントした豪邸に引きこもり、バスローブのポケットに銃を入れて家の中を歩き回り、何かに怯えてブラインドから外をのぞき、そして、子どもの頃の彼に頻繁に体罰を加えていた、アルコール依存症で、女装趣味のある(こうした嗜好に対する当時の偏見は非常に強く、マーヴィンの人生にも影響を与えたと思いますので記します)牧師であった父親と激しく諍い、マーヴィンが父親を殴打した後、彼はその父親に銃で撃たれ、44歳の生涯を終えました。その銃は、彼が護身用にマーヴィンが父親に贈ったものでした。

"What's Going on"という楽曲は、家庭環境や、病気などで研ぎ澄まされていた彼の精神が、アメリカの行っていたベトナム戦争――よその国に派兵し、化学兵器を使い、残虐行為をさんざん働き、特殊部隊をつぎ込んでも勝つことができず、自国の多くの若い兵士を死に追いやり、PTSDの存在を世に広めることになった戦争――の本質、中核に鋭く反応してできたものだと思います。

この、彼の残した永遠に残るであろう名曲"What's Going on"は、次のように続きます。

Father, father
We don't need to escalate

You see, war is not the answer
For only love can conquer hate

そして、次のフレーズが、リフレインとして楽曲に繰り返し響きます。

You know we've got to find a way
To bring some loving (understanding) here today


これまで、学長室だよりで、ロシアとウクライナのことに2回ほど触れてきました。両国の戦闘が激しさを増していると聞きます。この、結局は、"人殺し"である戦争が、一刻も早く、なんとか、ともかく、終息することを、切に願います。