2020年アーカイブ

Ride on Time

今週の"サンディ・ソングブック"(東京FM)で、9月19日で"Ride on Time"が出て40年になると、山下達郎さんが話していました。この曲をはじめて聞いた時、なんと洗練された音楽か!、全然センスが違うと思いました。"...心に火をつけて飛び立つ魂におくるよ、Ride on Time"、曲、歌詞ともに、次々と、ひろびろと、視界が広がっていくような疾走感と爽快感のある何ともかっこいい曲だと、今聞いても思います。

同じように洗練という点で、これまで聞いたことがない!と思った音楽に、"Ride on Time"よりちょっと前になりますが、荒井(松任谷)由実さんの"ルージュの伝言"があります。ただ、これは、聞いた時、なんと洗練された音楽!と思うとともに、なんだ、これは?!という感じもありました。というのは、われわれ=私の生活様式とはまったく違う!という感じだったのです。"バスルームにルージュの伝言..."といっても、だいたいルージュの意味も知らなかったし(大学の女友達に教えてもらいました)、ついこの間までぼっとん便所というアメニティ環境で暮らしていた田舎の青年には、バスルームに口紅で伝言といっても、あまりうまく像が結ばないのでした。"あの人のママに会うために今ひとり列車に乗ったの...(浮気な恋を)ママから叱ってもらうわ、マイ・ダーリン"というのも、彼女のファッションなどとともに、ああぁ、東京の私学の女子(多摩美)ってこういうんだと、まばゆいばかりの、全く遠い世界の別の生き物のように思えました。

なんだ、これは?!と思った音楽には、もうひとつ、サザンの"勝手にシンドバット"があります。コミックバンドのような扱いもあったといいますが、確かにあのファッションにはそんなこともあったのかとは思いますが、その後の活躍を約するような内容の曲だったと思います。歌詞も意味不明と言われましたが、そうといえばそうですが、クールですこしHな桑田ワールドの天才性をハナから見せつけて登場したのだと思います。歌詞の中に出てくる湘南、茅ケ崎というのも、なんとも格好よかった...。

私はほとんど洋楽しか聞かないのですが、この3人の曲は、その後も聞いています。それにしてもこの3人の凄いことは、いまだに現役で、われわれのような世代から、今の若い人までファンがいることです。3人とも60歳半ばです(一番上が山下さんで67歳、荒井(松任谷)さんはそれより一つ下、桑田さんは64歳で、私と同学年です(!))。60代半ばの人間と、20代(あるいは10代)の子とが、同じ音楽を聞いているということが、はやりすたりのあるポピュラー音楽の世界に、これまであったでしょうか?9月19日の放送でも、22歳の人が、"Ride on Time"40年ということを知っていてリクエストしていました。われわれは若い人たちにつきあってもらう仕事ですが、教育とか学問とかを離れた時に、この人たちと、話し合う共通の話題があるだろうかと思うことがありました。常人のうかがい知れない、また、見せることのない節制・精進が、この人たちの活躍の背景にはあるのだと思います。

戦争が必要とは?!

今月初め、北陸のある市の教育長が「コロナ禍を短時間で解消する方法は、どこかで大きな戦争が発生することではないだろうか」と発言して、辞職に追い込まれました。市の教育職のトップなだけに何とも残念なことです。発言のあった定例の教育委員会の会議録の全文を読んでみましたが、発言の文脈もよくわからず、この点でもまことに愚かな発言だと思います。そういえば、昨年6月には、北方領土を訪問する事業で現地を訪れた際に、北方領土の返還のためには、戦争が必要なのではないかと、元島民の訪問団長に迫り、国会で譴責決議を受けた若い衆議院議員がいました。

このことが報道された際に、その発言場面の録音をテレビで聞きました。私が、特に印象深かったのは、議員が自分の意見への同調を執拗に迫るのに対し、元島民の団長を務める方は、一貫して、戦争はだめだ、いやだと答えていたことです。このことに私は強い感銘を受けました。こういう団長の方の態度は、自民党の長老格の政治家の中に、戦争だけは絶対にだめだと強く主張していた人がいたことなども思い起させました。

こうした人たちの戦争を忌避する発言や態度の底には、戦争体験があり、それは骨身に染みていて、戦争はほとほと嫌だと思っている、その思いはいま生あることと分かちがたく結びついていると思わされました。

さて、それに対し、今回辞職した教育長も、あの議員も、戦争体験のない世代に属しています。私もそうです。我々のような戦争を経験していない人間たちが多くなってきているということはよいことなのだと思います。平和の証ですから。ですから、本当は、我々のような人間たちこそ、あの団長の方のように、どうあっても戦争はだめだ、いやだと言い続けることができなければならないのだと思います。なぜそうならなかったのか、よくよく考えてみる必要があると思います。