隔世の感、、、
新しくできた公益のホールでの集会に車椅子の人を介助して入ったところ、あとから守衛さんが追いかけてきて、「そういうので入られると困るんだよね、床に跡がついちゃって。ほらこれ、ここも。」・・・。やはり車椅子の人と東北地方を旅行している時に、駅の乗り換えで、エレベーターを使わせてほしいと駅員さんに頼んだところ、「こういうことは前もって言ってもらわないと困るんだよね、急に言われてもね・・・」。エレベーターと言っても障害者用のものなどありませんから、荷物運搬用です。これは、40年近く前の私の経験です。
今年はオリンピック・パラリンピックが東京で開催される予定でした。このオリンピック関係の報道では、パラリンピックのことが必ず合わせて言われ、「オリ・パラ」と略されたりもしています。パラリンピックは、長らく注目を浴びずにきたのに、今では、必ずオリンピックと合わせて言われる、これは、上で述べました40年前の光景からすると、隔世の感があります。これは、障害に対する世の中の見方・意識が変わってきたことを物語っており、よいことだと思います。(このことは、4月に教育新聞の取材を受けたときに、昨今の障害者をめぐる意識の変化としてお話したところです、上に記したことやオリ・パラのことは記事にはなりませんでしたが)
8月24日の朝日新聞朝刊に「特別支援学校開校相次ぐ」というタイトルの記事が1面に出ていました。全国で36校、東京では6校開校予定だそうです。専門的な支援教育を望む保護者が増えたなどの理由で、支援学校に通う子どもはここ10年で2割(2万7千人、9割は知的障害の子ども)増えており、深刻な教室不足が背景にあると言います。確かに、教室不足は深刻で、私が都の特別支援学校の実習の巡回等をしていた時(もはや10年近くも前になりますが)でも、特別教室を全部つぶし、通常1学級の教室を2つに分けたり、それでも足りず、校庭に校舎を立てている学校もありました。
私が1回目の大学4年を迎えた年は(次の年も4年生をやりました、留年したわけです)、昭和54年で、特別支援関係者の間では、「54義務化」として知られる年です。障害を有するお子さんの学校として、盲学校、聾学校は戦後すぐに都道府県の設置義務、就学義務が法令化されたのに対し、知的障害や肢体不自由、病弱のお子さんの学校である養護学校についてはそれが遅れ、昭和54年度(1979年度)にようやく義務化されました。これを「54義務化」と言っています。これによって、養護学校が全国につくられ、対象の子どもたちが通うようになります。この義務化に対し、障害者団体の中には、障害児も地域の学校で受け入れを図るべきで、養護学校を設置して子どもたちを就学させることは、差別の固定化につながるということで、養護学校を批判し、義務化に反対する映画が作られたり、地方から当時の文部省まで反対の行進が行われたりしました。
こうした当時のこと-養護学校をつくるということにあんな反対運動があったこと-を思い出すと、今、特別支援学校が増えているということには、やはり、隔世の感を覚えます。上のような経験をし、義務化に反対する運動のあった40年前と異なり、「オリ・パラ」という用語が広まっている現在、特別支援学校に行く人が増え、それに応じて特別支援学校が増えていることは以前とは異なる意味をもち歓迎すべきことと思います。