2021年アーカイブ

令和2年度卒業・修了式式辞

卒業生、修了生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。めぐりあわせとはいえ、コロナのこうした年に卒業、修了の年を迎えたこと、なんとも気の毒なことをしたと思います。しかし、そうした逆境ともいえる状態の中で、よく努力して、今日の日を迎えました。その努力に敬意を表するとともに、頼もしくも思っています。

このコロナ禍の中で、よく読まれた本に、フランスの文学者・哲学者、アルベール・カミュの「ペスト」があり、私も今年の新入生へのメッセージで触れたところですが、カミュにはこの「ペスト」より少し前に書いたものに、「シジフォスの神話」という哲学的エッセイがあります。「真に哲学的な問題は自殺である」という有名な書き出しで始まるものです。

その作品タイトルともなっている「シジフォスの神話」とは、ギリシア神話にあるもので、不敵・不遜な男シジフォスは、神々の怒りをかい、罰を受けます。それは、巨大な岩を山の麓から頂きへと運びあげるというもので、しかし、その岩は、シジフォスが岩を山頂まで運び上げるやいなや、神々の力によって、また、麓へと落ちていくのでした。これをまた、山頂へと運び上げるというのが、シジフォスの受けた罰なのでした。こうしたシジフォスの行為に、カミュは、みなさんはもうおわかりと思いますが、「ペスト」が一面そうであったように、人間の人生をなぞらえています。

カミュがこの神話でもっとも関心があるのは、このシジフォスが山を下っていくところだと言います。山を下りていく時間は、「意識の時間」であって、この時は、シジフォスは彼の置かれている悲惨な条件の全貌を考えます。シジフォスは岩を山頂に運び上げるという自分の作業が達成するたびに無に帰し、繰り返し繰り返し未来永劫同じ作業を行わなければならないということがわかっています。この神話が、悲劇的であるのは、このようにシジフォスが意識的であるからだと言います。が、しかし、その一方で、カミュは、シジフォスが自分の悲惨な状態を知っているということが、悲惨さを意識しているという、まさにそのこと自体が、彼がこの事態に打ち勝つことを可能にすると言います。いわく、「どのような運命もそれを俯瞰するまなざしには打ち勝つことができないからだ。」

カミュは、俯瞰することによって、この悲惨な運命に打ち勝つことができるというのですが、この「俯瞰」というまなざしとはどういうことでしょうか。これは、全体の中に自分を置いて、それを一段高いところから一望するようなものの見方ということです。そういう視点に立つと運命に打ち勝つことができるとカミュは言います。

これを少しく敷衍しますと、苦悩のただ中にいる時には、精神は現実、すなわち苦悩と寸分の隙もなく張り付いてしまっている、そうした中では、精神には苦悩しか見えなくなっている。そうした時には、精神は、苦悩の他に、そうした視点しかとれないという、精神の不自由という苦悩も抱えることになってしまっている、つまり、人間は、二重の苦悩を抱えることになってしまっている。その時に、現実の苦悩の方は変えられないとしても、俯瞰するという視点の取り方で、精神の方は自由にできる、二重の苦悩のうちの片方からは自由になることができるということを言っていると思います。

これを確認するかのように、カミュはまた、「不条理を見出したものは、何か幸福への手引きといったものを書こうとせずにはいられない」とも言っています。これは、例えば、重い病気にかかった人が、闘病記を書くというようなことだと思います。これはどういう心の働きでしょうか?。これは、厳しい現実と距離を置き、病んでいる自分とは異なるところに視点をおいてみる、そのことによって、たとえ、一瞬にせよ、苦しんでいる現実から焦点をはずして、心に余裕をもとうとする心の働きのように思います。

つまり、「俯瞰」というまなざしは、それは(意識的な、つまり)意識のある人間だけに可能な、人間だけに許されている視点の取り方です。シジフォス的苦悩は、人間の意識のせいなのですが、一方では、その意識の働きによって救われるということ、つまり、人間は意識的であるがゆえに悲惨であり、意識的であるがゆえに悲惨さから解放され得るということなのだと思います。

この俯瞰するというものの見方は、実は、あなた方が大学で身につけたものです。あなた方が取り組んだ卒業研究、修士論文、課題研究で最初に求められたことは、問題を立てることであったと思います、これは、対象化というものの見方です。これこそが、学的営みの中心にあることです。対象化と俯瞰とは、ものと距離を置くという点で非常に似通ったものの見方です。これを大学での学びの総まとめとして行ってきたあなた方は、カミュの言う「俯瞰」というものの見方になじんでいると思います。学問をすることは、世の中のため、人のためということもありますが、自分のためということもあっていいと思います、それは、自分の好奇心のためというのももちろんありますが、自分の人生を引き受けること、楽しいことばかりではない、シジフォスの業苦のように見える人生を楽にするのに役に立つということがあってもいいと思います。あなた方は、大学で学ぶことによって、シジフォスとして、世に出ていく術の基本をも身に付けたということだと思います。学問には、すなわち、知るという人間の営みには、そういう効用もあるはずです。

今後あなた方は、社会に出て、学生時代に増して、若さを享受し、活躍していくことになると思います。ロシアの革命家トロツキーは、人生は美しいと言いました。いい言葉だと思います。美しい人生を大いに享受してください。そうであることを心から期待していますが、しかし、いろいろうまくいかないこともあるだろうと思います、行き詰まるときもあるでしょう、また、病気になることもあるだろうと思います。そうした時は、自分を現実から引きはがしてみる、つまり、あなた方が大学で学んだやり方である対象化を試みて、俯瞰してみてください。そこで、自分の状況を相対化し、気持ちを新たにして、また、現実の世界に戻っていってください。それでもなかなか大変だという時には、そうした時は、本学を思い出してください。本学とあなた方の先生を思い出してください。大学に訪ねてきてください。大学は、いつでもあなた方を待っています。あなた方の人生が、あなた方らしく、美しいものであることを祈っています。本日はおめでとうございました。ありがとうございました。

令和3年3月19日
東京学芸大学長 國分 充

3.11。

私は、仙台出身ですので、3月11日には、いろいろと思うところがあります。あの年、私は、5月になって、はじめて仙台に入ることができました。その時に強烈な印象を受け、今も脳裏に残っている光景を3つほど。

妻の本家が丸森という宮城県の南にあり、そこに行くためには仙台から福島方面に向かう南部道路という、周囲から土が高く積まれ嵩上げされている自動車道路を行きます。それが、仙台市内を過ぎたあたりから、東京方面に向かって左側、東側には、家がまったくないということに気づきました。これまで何回も通った道で、両側に農家などの民家や田んぼ、畑などがあったのですが、それが、海側の東側だけ何もないのでした。津波の跡でした。自動車道路が堤防の役割をしたと聞いてはいましたが、呆然として言葉を失いました。同乗していた妻も同じ思いであったらしく、車の中は、自ずから口数が少なくなりました。ところどころにポツンと残っている家がありましたが、それらはいずれも焼けたような跡があり、1階部分のガラス戸、窓はみな破れ、そこからカーテンが外にはみ出てきていて、バサバサと風に吹かれて舞っていました。もちろん人が住んでいる気配はなく、荒涼たる光景でした。

仙台の北西部には葛岡墓地公園という丘陵地帯を利用したかなり大きな市営の墓地があります。ここに父が眠っているので、帰仙した時には、必ずお墓参りに行っていました。墓地に行く手前の道路の左側には、100mか、200mに及ぶ駐車スペースが横長に取ってあるのですが、そこにプレハブの建物が、その駐車場をつぶすようにして、ずっと並んで立っているのでした。何だろうと思って、降りてみると、それは、簡易納骨堂で、火葬したお骨を、埋葬までの間、一時的に収めておくという場所でした。亡くなった人の埋葬が立て込んでいて、手が回らず、こうした施設をつくって、時間を調整しているのでした。1万人を越える死者ということは、こういうことかと、痛烈に思い知りました。

もう一つは、多賀城付近の車のディーラーの建物です。それほど大きな建物ではなかったのですが、1階部分は、津波で破壊され、ぐちゃぐちゃになっているようでしたが、破れたガラスのドアの残っている部分に、青マジックで「2階で営業中」という紙が貼ってあるのでした。なんという意地、意気地!。地震、津波になんか負けるか!という人間の意志が強く感じられるものでした。目にした時には、目頭が熱くなりました。

帰京して大学院の授業の時に、こうした被災地の様子を話そうと試みましたが、話そうとすると、こみ上げてくるものがあり、なかなかうまく話せませんでした。特に、自然というものの圧倒的な力による胸塞がるような光景を次々と見せつけられる中、最後に記したことは、自然に対する人間の矜持を示すものとして、人を励ますものとして、きちんと話したいと思っていましたが、できませんでした。が、学生の前でうまくできなかったことが、今果たせたか、と思っています。