2021年アーカイブ

川路聖謨という人、「人間臨終図鑑」。

NHKの大河ドラマ「青天を衝け」を見ています。とりたてて何か見たかったというのではなく、草彅君の徳川慶喜はぴったりだなぁなどと感心して眺めているという感じでしたが、中に字幕で「川路聖謨(としあきら)」とあって、あれっと思いました。主人公の渋沢栄一を見出した一橋家の平岡円四郎(堤真一さんが演じていて、なかなかの快男児だったようですが)の後見役のような役柄で、平田満さんが演じています。あれっと思ったのは、「人間臨終図鑑」に出ていた人だからです。

「人間臨終図鑑」とは、作家の山田風太郎さんが書いたもので、古今東西の有名人がどう死んだかを年齢順に記していったものです。私の持っているのは徳間書店の文庫版ですが、400頁半ばで4冊あります。ネットで調べたら、923人、載っているそうです。よくもこんな本を書いたものだと思いますが、また、大体、どうやって資料を集めたのかと感心もしますが、これがとても面白い。読みだすと、あとひとり、あとひとりと、やめられなくなります。ひどい死に方、残念な死に方もありますが、まことに立派な死に方、深く感銘を残す死に方もあります。川路聖謨の場合は、後者です。

山田さんの本によると、川路聖謨は、幕末の名官吏、数々の幕府の要職を歴任したが、有能であるだけでなく、誠実で、情愛深くユーモアに富んだ人でした。有名なのは、ロシアのプチャーチンとの開港等をめぐる交渉で、ロシア側は彼の応接ぶりに舌を巻きながらも、彼の人柄に魅せられ、その肖像画を描かせようとまでしたそうです。随行のゴンチャロフは、「彼は私たちに反駁する巧妙な論法をもってその知力を示すのではあったが、それでもこの人を尊敬しないわけにはゆかなかった。...すべて常識とウィットと炯眼と練達をしめしていた。明知はどこに行っても同じである」と書いていると言います。その後、井伊直弼の忌避に触れ閑職に追いやられ、また、卒中に罹り半身不随ともなり、江戸城の開城が約された翌日に自殺。それは、卒中で左手は利かないので、右手だけで作法通り腹を切り、次に拳銃でのどを撃つというものだったそうです。山田さんは、川路聖謨の項の最後を「要職を歴任したというものの、べつに閣老に列したわけでもなく、かつ生涯柔軟諧謔の性格を失わなかったのに、みごとに幕府と武士道に殉じたのである。徳川武士の最後の花ともいうべき凄絶な死に方であった。」と結んでいます。

こうした記述がとても印象的で、それで憶えていたわけですが、今回ネットで彼の名前を検索してみたら、作家の吉村昭氏のものや、いくつかの本が出ていました。私は、時代小説(ばかりか小説も)をほとんど読まないことなどもあり、不覚にも知りませんでした。が、こういう人物であれば当然のことと思います。

名著というべきか、奇書というべきか、「人間臨終図鑑」のことは、機会を見てまた記したいと思います。

更新講習をめぐる不可解な議論。

中教審の下にある小委員会で、更新講習―教員免許の更新制についての議論がなされ、答申に先立って報告がなされるような見通しです。この議論、なぜ急に出てきたのか、また、どうも廃止の方向性のようなのですが、まったく腑に落ちません。

更新講習は、当初は必修講習と選択講習でしたが、現在は、それに選択必修講習も加わっています。10年間実施して、特に問題を指摘されていたわけではないのに、昨年あたりから急に廃止論が浮上してきました。その時に、教員の金銭面を含めた負担の問題や、「うっかり失効」などが理由としてあげられました。しかし、これは、導入時にさんざんいわれたことです。そうしたことがあってもやるべきだということで始まったわけで、ハナからわかっていたことです。中身が役に立たないということも言われていますが、選択講習こそ、大学教員の研究テーマに即したものですが、必修講習と選択必修講習は、そこに含むべき事項が決められています(必修講習では、「国の教育政策や世界の教育の動向」や「教員としての子ども観、教育観等についての省察」など、選択必修講習では「道徳教育」や「教育の情報化」など)。大学が好きにやっているわけではありません。役に立たないというなら、事項の指定を変えればいいし、大学教員が好きにやってる(と思われている)選択講習の時間数が多いというなら、必修講習と選択講習の時間配分を変えれば済むことです。教育委員会の行う研修で足りるということも言われているようですが、私立学校の教員はどうするのか、視野が狭い意見だと思います。

働き方改革のひとつという意見もあるようですが、更新講習は、10年に一度、30時間、勤務日数にすれば4日にも足りません。これをなくすことが働き方「改革」とは到底思えません。管理職の手間ということも言われているようですが、管理職も含め、教員の多忙化を解消する、働き方改革の本丸は別のところにあると思います。その名の通りの「改革」をきちんとやってほしいと思います。

さらに、人材確保の妨げになっている、つまり、学校の教員に欠員が生じ、その後を埋めようとした時に、候補者が講習を受けていないために、すぐに採用できないというようなことも理由としてあげられているようですが、これなどは、更新制の意義を解さない、本来理由としてあげるのも憚られて然るべきものだと思います。更新制というのは、教員は、免許をとったからといって、未来永劫子どもたちの前に立つことができるというものではない、きちんと時代時代に合わせて、教員としての資質・能力をアップデイトしないといけない仕事なのだという理解に基づくものですし、導入時にそう再定義されたはずです。導入を決めた時と、現在、何が変わったのでしょうか?人々を取り巻く状況の変化の速さは増すばかりで、10年前より、アップデイトの必要性はますます増しているように思います。道徳教育も教育のICT化についても、選択必修講習として組み込んできました。更新制は、私立も含めた日本の全教員の質を、時代に合わせて保証することができるもので大事にすべき制度だと思います。いくら教員不足の昨今とはいえ、こうした理由をあげるということは、教員免許をもっているならどんな人間でもかまわないと言っているのと同じで、それで学校現場はいいのかと思います。採用時の問題については、猶予をつけて採用できるようにし、その間にe-ラーニングなどで講習を受けてもらうというようにすればいいことです。

更新講習という新たに生じた任務に対して大学は、いろいろな工夫をして対応してきました。本学では、現職教員が主たる対象ということで、普通の学部レベルのものではなく、大学院レベルの講習を提供する必要があるだろうということで、大学院を担当している教員だけが担当するということを原則にしました。また、導入にあたっては、必修講習のシラバスモデルをつくり、使用すべきパワーポイントの例もつくりました。そうして行ってきた講習は、受講生の評価も非常に高いものです。更新講習は、受講者による事後評価が義務づけられています。アンケート方式で行い、その書式も決められています。昨年は、コロナ禍で、eラーニング講習だけでしたが、全体の評価を見ると、4段階評価の上2つの「よい」と「だいたいよい」を合わせた割合は、必修講習で96%、選択必修講習、選択講習ともに94%でした。全国の結果は、文科省のホーム・ページで公表されています。令和元年度の結果では、「よい」と「だいたいよい」を合わせた割合は、必修講習で95%、選択必修講習、選択講習ともに96%となっています。回答した受講生数は、延べで62万人です。この規模でこの結果というのは、きわめて高い評価というべきでしょう。
https://www.mext.go.jp/content/20200803-mxt_kyoikujinzai01-000009165_1.pdf
そもそもこうした受講者に関わる重要なデータが議論の中では、まったく言及・参照されていないようなのですが、これはどういうことでしょうか?このような調査は何のためにやっているのでしょうか?エビデンスに基づいた議論が求められている今、全く理解できません。

このように10年続けてきた営みを、上にあげたような理由で廃止するというなら、それは、われわれのこれまでの努力を踏みにじるものでまったく納得がいきません。教員の質の担保、ひいては教員養成教育も質保証が強く求められている中で、更新講習を廃止するというのは、我が国の教育政策上どう位置づくものなのでしょうか?もし廃止という結論を中教審が出すなら、われわれも同意する説得力のある理由を示してほしいと思います。