2021年アーカイブ

ソビエトの買い物(1)

これまで2回ほど、30数年前にソビエトを訪ねたことを書きましたが、今となってはなくなってしまった国なので、珍しいこともあると思いますので、訪ねてみて驚いたことや印象深かったことなどいくつか書いてみたいと思います。

今回は、買い物についてです。ソビエトでは物を買うための行列が有名で、これは基本的には民生品(特に、消費物資)の不足に起因しているものでしたが、物の買い方にも行列を呼ぶような要素があったと思います。

ソビエトでわれわれが連れていかれたのは(旅行者の自由ということについてもどこかで書きたいと思います)、大きなスーパーのようないろいろな物を売っているところで、個人商店のようなところには連れていかれた、あるいは行った覚えがないのですが(そもそもソビエトに個人商店があったのかどうか...)、そこでの物の買い方は日本とは全く違っていました。

日本のスーパーのように、自由に物をとって、カゴに入れていくというようなことはまったくできません。だいたい、自由に商品に触わることは物理的にできません。というのは、商品と客の間には、カウンターがあり、カウンターの向こう側には、店員さんが必ずいるからです。買い物は、まず、そのカウンターに取り付いて、店員さんをつかまえることから始まります。つかまえた店員さんに、後ろの棚にある商品を指示して、目当ての物を出してもらい、そこで、初めて商品に触れることができます。商品をみて、買うと決めたら、その商品の値段を書いた伝票をもらい、それをКАССАと書いてあるレジに持って行って、代金を払う、そして、その代金を払ったという証拠のレシートをもって、最初に取り付いたカウンターに行って、また店員さんをつかまえて、レシートを見せて、商品を受け取るというシステムなのです。ですので、行列は、①最初のカウンターに取り付いて店員さんをつかまえるとき、②お金をКАССАで払う時、③商品を受け取る時と3つできることになります。料金を払う時には、それほどの行列はできていませんでしたが、最初のカウンターに取り付くのには、結構な行列ができていました。というのは、決して愛想のよいとは言えない店員さん(これには多少の誤解もあったことが後にわかりますが、これについてはまた別の機会に記します)とああでもないこうでもないとやりとりしながら ―― 場合によっては出してもらったものが気にいらないから別のものを出してもらうというようなことを繰り返しながら ―― 決めるのですから、時間のかかるのは当然なのです。また、見せてもらうところと、受け取るところが一緒になっていると、行列はさらに長くなっていました。この仕組みは、いろいろな商品に貫徹しているようで、本屋でもこうなのには閉口しました。

食料品などはどうしているのか、これでは生きていくのに必要な食料も簡単に買えないのではないかと思うのですが、ガイドさんやソビエトで1年数ヶ月暮らした経験のある恩師によると、そうしたものは職場での共同購入のようなもので賄っているらしいとのことでした。職場のない人は?と思いましたが、なにしろソビエトは失業者ゼロの国でしたから、だれにでも職場はあるといえばあるのでした。

こうした買い物システムは、我々には難度が高く、早々に、ソビエトの一般庶民用のお店での買い物は諦めることになりました。それに代わって、買い物をしたのは、ベリョースカ("白樺"の意)という名前の外貨ショップで、大きな外国人客用のホテルには大体ありました。日本のスーパー方式の会計システムで、行列もなく、スムーズに物が買えるのでした。なにより、そこには物が沢山あり、きらびやかに陳列されていました。

必要があるだろうと思って円から両替したルーブルは、結局のところその大半を余すことになってしまいました。お土産はもちろん、日常のちょっとした飲食物までベリョースカで買うことができ、外貨をもっている限り、行列や物不足には無縁で、何不自由なく買い物ができるのでした。私は、街では見たこともないコカ・コーラを毎日買って飲んでいました。ただ、子どもたちがベリョースカの窓ガラスに張り付いて、食い入るようにこちらを覗き込んでいることに気づいた時には、ドキリとしました。それからは、ガラスを隔てた外のことを気にしながら買い物をするようになりました。私は、社会主義にはそれなりの関心も期待ももっていたのですが、こうした情景には考え込まさざるを得ませんでした。時は、ソビエト社会のペレストロイカ("再構築")を訴えるゴルバチョフ共産党書記長 ―― 結局最後の書記長 ―― の時代でした(が)...。(この記事続く...)

下の写真の1枚目は、ベリョースカのレシートです。一番上の8の次にかすかにБЕРЕЗКА(ベリョースカ)と書いてあり、その下にКАССА(カーサ)と書いてあります。6品買って合計51ルーブル10カペイカだったようです。当時のレートでいうと、1万円を越える買い物をしたようです、何を買ったのか...。2枚目の写真は、ベリョースカで買ったソビエトの国名の書いてあるカバンで、ソビエトのオリンピック選手などがみな持っていたように記憶しています(ベリョースカのレシートはこのカバンから出てきました)。上に書いてあるのは、シィー・シィー・シィー・ピーではなく、エス・エス・エス・エルと読みます。ソユース(連邦)・ソビエトスキフ(ソビエト)・ソツィアリスティチェスキフ(社会主義)・レスプブリク(共和国)の頭文字をとってあります。ロシア語のсはsで、рはrです。その下のUSSRとは、英語でのソビエト連邦社会主義共和国の略称です。そういえば、ビートルズに"Back in the USSR "という曲がありましたっけ...。さて、ではクイズです。ロシア語のресторанは何と読むでしょうか?ペストパーではありません、ちなみに最後のнはnです。

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アレサ・フランクリンの"Ain't no way"

アレサ・フランクリンを主人公とした映画"リスペクト"が、ジェニファー・ハドソンの主演で上映されることが新聞に出ていました(朝日新聞夕刊2021年11月11日)。アレサ・フランクリンといえば、クイーン・オブ・ソウルとも言われる圧倒的な歌唱力で知られているミュージシャンです。演じるジェニファー・ハドソンも、モータウンのシュープリームスをモデルにした"ドリーム・ガールズ"のエフィ役(悲運の実力派歌手フローレンス・バラードがモデル)でデビューし、主役のビヨンセ(ダイアナ・ロスがモデル)を食ってしまったとも言われた実力派で、さもありなん、もっともなキャスティングと思いました。

アレサ・フランクリンは数々の名曲を残していますが、その一つに"Ain't no way"という曲があります。私が博士課程の院生でいたころの頃のことです。もはや30数年前になりますが、その頃はどこへでも車で移動していていました。東京近郊での研究会が終わって、夜、東北自動車道を仙台へ向かって走っていました。いつものようにカセットテープで音楽を聞きながらの運転で、聞いていたのはアレサ・フランクリンのアルバム"Lady Soul"。その中に"Ain't no way"がありました。これまでも何度も聴いていたもので、いい曲だとは思っていましたが、それが、その時には、これまでとまったく違って聴こえてきたのです。音のひとつひとつが、身体の隅々までしみ込んでくるというか、身体全体が曲に浸されるというか、感動というより、何か強烈なものに打ちのめされたというような感じで言葉も出ないというような状態になったのです。

いやいやこれは運転しては危ないと思い、カセットを止め、直近のPAに車を止めて、あらためて、初めから聞いたのですが、それはいつもの"Ain't no way"で、先のような感覚は、残念ながら、戻ってきませんでした。

こうした体験が特に印象深く残っているのは、ちょうどその頃、同じような体験をした人の文章を読んだからです。それは、村上春樹さんで、彼の小説は私には難度が高く、読んだことはないのですが、その頃、彼が週刊朝日に書いていたエッセイは、雑誌をとっていたこともあり、毎週読んでいました。その中で、疲れて疲れての疲労困憊の中、無理をして、ジャズを聞きにいったが、ともかく眠くて会場ではずっと寝ていたのだけれど、あるプレーヤーの演奏するところで、目が覚め、その時には、身体全体の細胞が音楽にひたされ、疲れがそぎ落とされ、活性化されるように感じたというような体験を書かれていました。

考えてみれば、私も研究会の発表準備でかなり疲労している中での出来事で、身体的には村上さんと同様の状態にあったと思います。とすると、こうした体験が生じるこちら側の条件としては、何か疲れているということがあるように思いますが、それに何かプラスするものがあるように思います。私の場合、ある種の達成感というのか空白感というのか、そうしたものがあったようにも思います。村上さんの場合には必ずしもそうでないように思いますが。

この村上さんのエッセイについての記憶があいまいなのが気になって、本当のところはどうだったのか調べてみました。新潮文庫に"村上朝日堂はいかにして鍛えられたか"があり、その中の"音楽の効用"というタイトルのものがそれでした(日付はわかりませんでした)。ふたつのエピソードが書かれており、私の記憶は、そのふたつが混ざったようなものとなっていました。ひとつは、クラシックで、リヒテルのブラームスの2番のピアノ協奏曲を聞いた時に、「細胞の隅々にこびりついていた疲弊がひとつひとつひっぺがされるみたいに取れて、消えていった。僕はほとんど夢見心地で音楽を聴いていた。...曲が終わったあと、ほとんど口をきくこともできなかった。」と書かれています。もう一つは、ジャズ・セッションで、これはだいたい私が書いたとおりでしたが、目がさめたプレーヤーとは、アルト・サックスのソニー・スティットという人でした(私は知らない人です)。また、村上さんは、そういう素晴らしい体験はしょっちゅうできるわけではなく、何年かに一度しか起こらないと記されていました。まことに残念ですが、私が車を止めてあらためて聞き直してもそうした感覚が起こらなかったことと一致するようにも思います。ただ、村上さんのように数知れず音楽を聴いている人でもそうだとすると、私にはもはや起こらないことかもしれません......。

追加で。
"リスペクト"にはHPがありました。以下です。
映画『リスペクト』公式サイト