2021年アーカイブ

新学期=春学期をむかえて。

4月になり、令和3年度の新学期=春学期が始まりました。今週12日からは授業も始まりました。授業は、対面7割、オンライン3割で行っています。大人数の授業は、オンラインで行うことにしました。オンラインでも授業が十分やれるということは、今回のコロナ禍の中で学んだことのひとつで、大人数の授業の場合には、むしろオンラインの方がよいという声も教員、学生両者から少なからず聞かれました。感染対策上も、密を避けることができますので、こうした方針をとることにしました。ただ、こうすると、オンラインの授業と、対面授業が混在することになりますので、学内にいてオンラインの授業を受講できる場所=教室を用意する必要があります。この教室の手当てが実は簡単ではなく、昨年、対面授業を大学がなかなか入れていくことができなかった理由の一つだと思います(本学もそうでした)。今年度は、この点について十分検討し、いくつかの教室を、それ用の教室とし、さらに空いている教室があれば使ってよいこととしました。マスクの着用、教卓へのアクリル板設置や消毒用アルコールの設置などの感染対策も当然のことながらとっています。こうしたものも、昨年は入手が困難でした。また、毎日教室の机等の拭き掃除も行っています。

当たり前のことなのですが、学生で賑わっている大学というものはいいものです。こうしたことにあらためて気づきました。ただ、一方で、お昼休みの食堂などは、やや密気味で、また、会話の状態なども気になるところがあり、あらためて注意喚起のメッセージを出すことにしました。オンラインでも十分授業ができると言いましたが、しかし、キャンパス、そして、そこでの仲間との学びは、学生にとって不可欠のもので、それでなくては学べないものもあります。まん延防止等対策措置が出されている中ではありますが、何とか感染防止に努め、この状態を続けていきたいと思っています。この間の大学の光景を、濵田副学長が写真に撮ってくれました。少し通常に近づいた本学の姿をご覧ください。

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学生の登校風景

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学生証の交付

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教室のオリエンテーション

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生協食堂

令和3年度入学式式辞

新入生のみなさん、ご入学おめでとうございます。昨年からのコロナ禍で、通常の学校生活を送ることができない中、よく学修を進め、今日の日を迎えました。みなさんの我慢、努力に敬意を表するとともに、頼もしく思います。

昨年は、新型コロナウィルスの感染が世界中で拡大している最中だったため、入学式を開催できませんでした。昨年の新入生、今の2年生には、なんとも気の毒なことをしたと思います。そのため、本日午後に、1年遅れの入学式を開催することにしています。

昨年は、入学式のあいさつに代えて、本学のHP上に、新入生へのメッセージを記しました。その時取り上げたのが、フランスの文学者・哲学者アルベール・カミュの書いた"ペスト"という小説でした。これは、今から70年ほど前に書かれた有名な小説なのですが、それが昨年の今頃、あらためてよく読まれていると聞いたからでした。これは、ペストが蔓延し、閉鎖されてしまった都市―アルジェリアのオランで、病気に対するに十分な手立てもない中でペストに立ち向かう青年医師リゥーと仲間となったタルーの闘いを描いたものです。この状況が、新型コロナウィルスの感染が広がっている現在の状況とよく似ているために、よく読まれているのだろうと書きましたが、その後、この小説は、刷数を重ねて読まれていると聞きます。

この「ペスト」の著者カミュは、この小説の舞台となったオランの位置するアルジェリア、当時はフランスの植民地でしたが、そのアルジェリアで生まれ、育っています。父は農夫でしたが、第1次世界大戦で戦死してしまいます。そのため、母は、自分の母、カミュにとって祖母に当たる人の家に身を寄せますが、その暮らしは、極貧と言うべきものでした。家を取り仕切っていた祖母は、カミュの靴に長持ちするよう釘を打ち、カミュがセメントの校庭でボール蹴りをして靴底をすり減らしてきていないか、毎日靴を点検したと言います。こうした家計状態ですから、小学校を終わった後に、さらに上級の学校に行くことなど、まったく考えられなかったのですが、カミュの聡明さ、才能に気づき、上の学校に行くことを勧めたのが、小学校の担任であったルイ・ジェルマン先生でした。カミュは、教師との出会いに恵まれていた人でした。このジェルマン先生もその一人です。彼は後にそのころのカミュのことを、「授業を受ける君はいつもうれしそうでした。君は本当に楽しげな表情を浮かべていました。」と言っています。ジェルマン先生は、カミュの上級学校への進学を勧めるため、祖母を説得しようとします。カミュの家を訪ねた先生は、家のあまりの貧しさにたじろぎながらも、戦死者の子弟は奨学金で学ぶことができること、カミュの聡明さなどを話し、祖母を説得するのに成功したのでした。

この出来事が、自分を世に出す最初の一歩となったことを、カミュは生涯忘れませんでした。カミュは、現在に至るまで戦後最年少の43歳でノーベル文学賞を受賞者しますが、その受賞のスピーチを、貧しい境遇でも彼を深く愛し続けた母と、ジェルマン先生に捧げています。そして、ジェルマン先生へ手紙を書き、次のように記しています。「母の次に私の心に浮かんだのは先生のことです。先生がいらっしゃらなかったら、そしてあの貧しい小さな子供だった私に愛情のこもった手を差し伸べ、教えと手本をしめしてくださらなかったら、このようなこと-ノーベル文学賞を受賞するということ-は決して起こらなかったでしょう。私はこのような栄誉を大袈裟にはとらえてはいません。しかし、それでも、これは私にとって少なくとも、先生が私にとってどのような存在だったか、そして今もどのような存在であり続けるのかを告げる良い機会です。先生の努力、先生の仕事、そして先生がそこに込めた寛容な心は今も先生の小さな生徒の一人であった人間の中に生きています。時を経た今も、私は先生に感謝を捧げる生徒です。」感動的な文章だと思います。私は、この文章の中で、カミュが、自分を「生徒」、「小さな生徒」と言っているところがとても好きです。教師というのは、小さな生徒の生涯に、かくも大きな影響を与えるのです。

ジェルマン先生の姿には、カミュが言うように教師という仕事、何をするべきなのかが示されており、そして、教師という仕事の生きがい、やりがいが何であるかも見出すことができます。

みなさんは、それぞれにやりたいこと、学びたいことがあって本学に入学してきたのだと思います、なかにはそれが見つからず、それを見つけに来た人もいると思います。それはそれでいいのです。そうした本学に入学した目的に従って、思う存分活動してください。本学にはあなた方のやりたいこと、学びを助ける条件が整っています。何より本学にはジェルマン先生がたくさんいます。そうした本学の教員と、カミュとジェルマン先生のような一生続く関係を築いてほしいと思います。本学で、あなた方のジェルマン先生と、そして、仲間たちとともに学び、学修したのちには、今度は、みなさんが誰かのジェルマン先生になってほしいと思います。そうした学びを期待しています。ありがとうございました。