学長室だより

あんぱん(1)

以前の学長室だよりで、NHKの朝の連続ドラマ「あんぱん」を見ていることを書きました。これは、「アンパンマン」を生み出した漫画家・やなせたかしさんと妻・暢さんのご夫婦をモデルとしたもので(タカシとノブ)、このお二人にとって、第二次世界大戦と終戦後の体験は、その後の人生に大きく影響したものとなっています。NHKの朝ドラでの戦争の描き方については、感銘を受けるものであることを以前にも記しましたが、今回のそれは、これまでにも増して、強く印象に残るものでした。

6月最後の2週間は、専ら召集されたタカシの軍隊での生活及び中国での転戦が描かれました。たびたび古参兵に殴られるタカシ。幼馴染のイワオは、自分を慕ってるのだと思っていた中国人の子どもに銃で撃たれて亡くなります。実は、子どもはイワオに両親の命を奪われており、復讐の機会を狙っていたのでした。イワオはうすうすそのことに気づいていて、これでいいんだと言って息を引きとります。この件にまつわって、度々たかしを救うクールで、謎めいた(妻夫木聡さん演じる)八木上等兵の感情の爆発と慟哭。また、飢えに苦しめられて、民家に押し入り、老婆に銃を突き付けて、卵を奪い、ゆでられた卵を殻ごとむさぼり食うタカシら日本兵。老婆は「飢えは人を変える」と言います。いつもはこの番組をみるのが楽しみでしたが、この2週間は、見るのがつらくなりました。

そして、タカシは、海軍に入った自慢の弟の千尋をこの戦争で亡くします。こうした経験は実話で、やなせたかしさんが、しばしば語っていた「僕は戦争が大嫌い」という強い反戦思想を抱かせることになったと言います。

タカシも苦しんだ戦場の飢え......一橋大学名誉教授の吉田裕先生の本(『日本軍兵士』、『続・日本軍兵士』いずれも中公新書)によれば、日中戦争以降の第二次世界大戦での日本軍兵士の戦没者数は、230万人で、その中の餓死者の占める割合としては、37%と61%という、従来の研究者の2つの推定値をあげています。戦死とされた兵士が戦闘で死んでいないとは!そして、餓死者の割合がこんなに高いとは!南方の戦線で日本兵が飢えに苦しんだということは知っていましたが、そうしたことが例外的なことではないことを知り、その割合に愕然としました。低い方でも3分の1強です。ネットで、吉田先生が戦争研究について話している記事があり、その中で、無残な死を遂げた兵士たちのありようについて「知れば知るほど絶望的な気持ちとなる」、「研究の過程では、胸が締めつけられる思いを何度もしました」と話されていましたが、まったく同感です。戦闘で亡くなるのではなく、異国の地で飢えて亡くなるとは...。これは、陸軍が兵たんを軽視し、食料補給を十分考えていなかったためだと言います。現地で調達する、「現地自活」(=略奪)という言葉まであり、それが勧められ、手引きも作られていたというのだから、唖然とします。

(この項続く)

師範学校の展開と戦時下の様子

2025年4月から9月までのNHKの朝の連続ドラマ「あんぱん」は、「アンパンマン」の作者、やなせたかしさんと奥さんの暢さん夫妻をモデルとしたもので、今田美桜さん演じるのぶは、小学校の教員になるという夢を実現すべく家族を説き伏せて、当時の女子師範学校に進学します。卒業後は小学校の教員となり、戦争一色の時勢の中で、「愛国の鑑」とまで言われる存在になります。

それが終戦をむかえて、子どもたちに間違ったことを教えていたという強い自責の念から教師を辞するエピソードが描かれています。この、戦争と終戦の体験は、ご夫妻のその後の人生を貫くものとなっており、強い感銘を受けるものでした。このことについては、また別の機会に記すこととして、そうしたドラマの運びと時を同じくして、本学の大学史資料室(図書館3階)では7月2日(水)より「師範学校の展開と戦時下の様子」の展示が開催されています。

少し紹介しますと、まず、軍隊・戦争と師範学校の関わりは意外に早く、1925年に「陸軍現役将校学校配属令」が交付されると、師範学校では、早速、軍事教練や査閲(軍事訓練の成果発表)が行われたそうです。その様子を写した写真が展示されています。学校では歩兵銃なども所有していて、それは校舎内に保管されていたと言います。

勤労奉仕で、女子生徒が肥え桶を担いでいる様子や、慣れないであろう道具を使って耕作に励んでいる写真も展示されています。また、師範学校の教員が召集された際の出征のお祝いは、学校をあげての行事であったようで、その記念写真も展示されています。防災訓練なのでしょうが、バケツリレーの写真もあります。「あんぱん」の主人公、のぶもこういう行事を経験して、「愛国の鑑」と言われるような教師になっていったのだと思います。

戦争末期になると空襲が激しくなり、本学のルーツとなっている学校のうち、東京第二師範学校及び豊島師範学校は焼失します。展示では、終戦後の1946年に陸軍の施設跡の小金井キャンパスに移転したことが説明されています。

展示品の中で目を引くのが、女子師範学校の生徒たちが、市内見学で東京府美術館(当時)を訪れた時の日の写真です。見学した帰途でしょうか、美術館の階段を降りてくる女子生徒たちが写真におさめられています。「生徒たちの表情は明るく、校外行事を楽しんでいる様子がうかがえる」というキャプションが記してありますが、まさしくその通りです。そのため、今回の展示のパンフレットにも用いられているのでしょう(東京学芸大学大学史資料室 常設展示「師範学校の展開と戦時下の様子」のご案内)。その笑顔は、今の若い学生たちと同じです。ただ、右上に写り込んでいる、建物の巨大な柱に巻かれた「国民精神総動員」の極太の墨字の異様な垂れ幕。この異形さ、不釣り合いこそが、その後の日本の命運を物語っているように思います。彼女たちがその後どのような人生を歩むことになったのかと思うと、暗澹たる思いにかられます。こうした人たちをも巻き込んでいく戦争のことについては、上に記したことと併せて、稿を改めて記したいと思います。けっして広くない大学史資料室ですが、写真展示も多く、鑑賞しやすい展示となっております。図書館入口で、「資料室(3階)の展示を見たい」と言っていただければどなたでも図書館に入ることができますので、ご覧いただければ幸いです。