教育が持つ複雑さに哲学で挑む!

第4回

A類学校教育
教育が持つ複雑さに哲学で挑む!

ちょこっとのぞきみ

 教育哲学と聞くと、難しい哲学者の本を読む学問だと思うことでしょう。実際、授業では教育を論じた哲学者の本を読みます。でも、教育哲学領域で学んでもらえれば、難しいのは教育という営み、教育事象そのものなのだと気がつくと思います。教育は、社会の年長者から年少者へと、物を受け渡すかのように知識や技能を授ける単純な営みではありません。

 例えば、学校の先生がどんなに言葉を精選して授業をしていたとしても、そんなことそっちのけで国語の教科書に書かれている物語に夢中になってしまった経験は皆さんにもあるはずです。夢中になった理由は、先生が教えてくれた「正しい」理解とは一致しないことさえあったのではないでしょうか。また、子どもたちが主体的に参加しているように見える授業に対してほど、何とも言えない気持ち悪さを授業観察者が感じることもあります。先生が望んでいることを子どもたちが読み取って行動しているだけで、子どもたちは実は先生に自発的に服従してしまっているだけではないかと感じるからです。

 こうした現実の教育を構成している複雑な要因を解き明かしていくためには、私たちが知らず知らずのうちに持ってしまっている教育の当たり前というレンズを外し、今までとは違った観点から多角的に教育をとらえることが大切です。哲学者たちの思想は、その観点を与えてくれるものなのです。

 教育哲学領域では、3年春学期の「教育哲学特講」で、教育の当たり前というレンズの意義と課題を確認します。そのために、子どもが大好きな児童文学作品を学生みんなで読み、その文学作品が持つ潜在的な可能性を分析したり、あえて学校教育から離れて、粘土遊びを行い、粘土を子どもに、遊ぶ私を教師に見立てて教育について再検討したりすることもあります。3年秋学期の「教育哲学演習」では、さらに専門的に哲学者の文献を読解して、新しい観点を手に入れていきます。

04gakkyou_0201.jpg

〈粘土遊びと教育を比較してみる〉

 学生たちが作った作品。粘土をこね、イメージしたものを作っていく作業を通して、子どもに対して意図をもって働きかけるとはどういうことかを再検討していきます。

04gakkyou_0202.jpg

〈哲学の文献を読解する〉

 私たちにとって教育の当たり前だと思っていることを問い直した哲学者の文献を読み、解釈を行っていきます。私たちが考えもしなかった教育の姿と出会うことができます。

04gakkyou_0203.jpg

〈現代の学習理論を再検討する〉

 学生たちが有名な二つの学習理論を整理した表。教育哲学を学ぶことで、現代の学校教育実践を支えている学習理論をより深く理解できるようにもなります。

学生からのメッセージ

杵渕 拓樹(令和3年度 4年生)

 教育哲学領域では、社会を根底から見つめ、教育で大切にされるべきことを追究しています。例えば現在の社会においてスマートフォンは私たちの感情を一瞬で表す手段を豊富に提供しています。しかし私たちがこうした機器に頼りきり、自らを手軽に表現することに慣れてしまえば、軽々しく片づけきれないはずの感情や思考が見えなくなり、自分や他者の存在までもが手軽に,効率的に扱われる事態が生じかねません。自分の大切な相手を思う気持ちを「いいね」の一言で片づけることなど私たちにはできないはずです。私の卒業研究では社会のこうした側面に焦点を当て、哲学書や文学作品を土台に、教育が大切にすべき人間のありかたについて考えています。前提をなす部分から一歩一歩教育に近づく時間を共にしませんか。

教員紹介

古屋 恵太

 教育実践と距離を置きつつ、実は深く教育実践に関わることになる面白い領域です。一緒に学んでみませんか。
 担当授業:教育の理念と歴史、教育学研究入門、教育基本文献講読Ⅰ、教育基本文献講読Ⅱ、教職入門、教育哲学特講、教育哲学演習

気になる学びを見る